ドン・マツオwith BLACK TEACHERSを観た!

昨夜は今池TOKUZOに紙コップスとドン・マツオさんを観に行った。
紙コップスは結成した頃から「知って」(決して続けて”観て”きたわけではない。それでも定期的にライブを観てる気がするけれど)いるけれども、バンドとしては当たり前の(だけれどもその当たり前がない事もままあるのだ)「オンリーワン」感がある。何かに例えるのが褒め言葉か、という論旨はよく耳にするけれども(これまたセンシティヴな話題ではあると思う)、つまりそれって例えようがないっていうのも褒め言葉にはならないという事を意味する。けれども褒め言葉として使っちまうぜ、紙コップス、他にないバンドである。癒しもあるし茶目っ気もあるし音楽的構築美もそして破壊もある。

そしてドン・マツオさん。
ソロアルバムを2月にリリースしたばかり、この日の名古屋から全国ツアーを開始されたドンさん。面白いのがバックバンドを連れていくでもなく全国各地でその土地のミュージシャンとその日限りのバンドを結成して、その場その時その空間の熱量、音楽を共有してその場でどんどん曲を発展させていくライブを展開されている。
それってなかなかない事だし凄いな、と思ってしかしいざ考えてみると、でも音楽って本質的にはそういうものなんじゃないだろうかだなんて思ったりする。
決められたフレーズを決められたように弾いたとしても、だ。その日の自分のバイオリズムと演奏メンバー(例えそれが固定メンバーであったとしても)のバイオリズム、呼吸の違い、それこそ演奏前の食事で何を食べたか、様々な要素でそのフレーズの鳴り方、他の演奏者への介在の仕方は変わってくるはずであり、だとすれば音楽というのはそもそもそういう「不確定であり変化し続けるもの」であるのかもしれない。否、あるのだろう。
勿論ドンさんのやられている事って誰でも出来るわけではないし、その場の空気や情熱、モチベーションや気配を読んでそれを膨らませたりもっと高次元(演奏の精度の話ではなく。ある一点を突破する快感というのが演奏する側、作る側には間違いなく、ある)へいこうと煽ったりというのはご本人も終演後に仰っていたけれども「海の波を見るようなもの」で、だからこそそれをツアーの夜毎に全部やろうというのがドンさん凄いというか、音楽に正面切って臨まれている姿勢がとても刺激的というかこちらの腹の底をグッと刺激されるというか金玉に響くというか、ガツンとやられたわけですね僕ァ。
とても刺激的な瞬間を目の当たりにして、一演奏者として良い意味でここ最近抱いていた発想がブチ壊されたというか。
構築と破壊を繰り返して残ったものをどんどんとアウトプットしていきたい。
そして、ドンさんのツアー四日市編では僕がベースギターを弾かせて頂く。
未知数の体験だしそりゃあ勿論緊張もするけれど、兎に角一緒に良いものを、と思っている。物凄く楽しみだ。

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