怪奇植物トリフィドの侵略。

トリフィドの日
中学生の頃、稲武野外学習に行った。名古屋市の中学校なら大概行くのだろうか、一学年丸々全員で稲武の宿泊施設で数日間過ごすのだ。
豊かな自然と都会では体験できない経験。夜は友人達との語らい、楽しいレクリエーション。そんな数日間なはずなのであるが、フナハシ少年の稲武と言えば憶えているのはただ一つ。『怪奇植物トリフィドの侵略』である。

中学生が何人も大部屋で過ごすとなるとただ事ではない。部屋を行き来し、大いに遊ぶのが通例だ。事実僕の友人達も指定のジャージを着、友人との語らいに興じたり廊下で女子と憩ったり、それはそれは楽しそうな時間を過ごしたはずだ。
だが僕は生来の根暗な気質がたたったか、何故か廊下にある本棚の本を読み漁っていた。そこにはあかね書房の『少年少女世界SF文学全集』が豊富に揃えてあり、児童にも読みやすく訳されたジュール・ベルヌの『宇宙戦争』だとか『海底2万マイル』とかが並んでいたのである。
『宇宙戦争』を読破した僕は興奮さめやらぬまま次は何にしようと本棚に向かった。予備知識等あるわけがないのでタイトルの印象で決めていく。目を引かれたのが『怪奇植物トリフィドの侵略』であった。

ある晩、地球に緑色の流星群が降り注いだ。この天体が織りなす一大ショーに地球上の人類は皆夜空を見上げた。だが彼らは一様に失明してしまう。目の治療で入院中だった主人公は失明を免れ、盲人ばかりとなった街へ出る。
失明し、無抵抗と化した人類に食用として栽培されていた二足歩行する植物トリフィドが襲いかかる。果たして人類の未来は。

といった感じの粗筋なのだが僕はこの終末感漂う設定、主人公の目を通した世界の描写に引き込まれた。稲武どころではない、僕は『怪奇植物トリフィドの侵略』にすっかり夢中になったのである。

だが時間の流れというのは無情なもので、稲武の野外学習は僕が『怪奇植物トリフィド~』を読破する前に終了してしまう。後ろ髪を引かれる思いながら稲武を後にしたのだったが、粗筋だけは鮮烈に僕の脳に焼き付けられていたのだった。

タイトルは忘れてしまっていたものの、粗筋を手がかりに折に触れては続きを読もうと同書を探したのだがなかなか見つからない。だが先日ついにその書名が『怪奇植物トリフィド~』である事、著者はイギリスのSF作家ジョン・ウィンダムである事、『地球SOS』というタイトルで映画化されている事などがわかった。
だが何よりの朗報は『怪奇植物トリフィド~』が『トリフィド時代』というタイトルで、子供向けのジュブナイルとしてではなく、そのまま和訳されて出版されているという事だった。手軽に入手できるらしく、文庫化もされているらしい。
ジュブナイル化されていた冒険譚『怪奇植物トリフィド~』と違い『トリフィド時代』は冷戦時代の政治思想を暗に批判した人間ドラマなようである。だがいずれにせよ幼心に痛烈に焼き付けられた物語を読破する事ができる喜びには代え難く、非常に嬉しい。

給料が入ったら書店に走ろうと思っている。
稲武で学んだのは太陽の下で運動する楽しさでもなければ仲間との協調性でもなく、強烈な強烈な読書の悦びだったのだ。

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