最近観たゾンビ映画をバババッと書く。

昨夜の事である。
職場で格好良いツーブロックのお客さんを見かけてから腹の底に「近々ツーブロックにするか!」という静かな情熱が燃えていたのだけれども、ついにそれが本格的に燃え上がった。
髪の毛を切る時は大体衝動的である。「今夜切りたい、今すぐ切りたい」、そんな衝動を胸に家に帰る。バリカンも自宅にあるしいっちょやってみっか!兄にバリカンを奮って貰った。
「こんなもんか?」
「もっと!」
思えば、兄の言葉に従っておけば良かったのである。

壮絶に失敗。
翌朝、僕は近所の午前8時45分から営業している理髪店に飛び込んだ。
「表を歩けるようにして下さい」
出来上がったのは見事に似合わないソフトモヒカン。いや、理髪店の店主の腕はとても良かった。鋏と櫛を小気味良く使って手際良く、表が歩けないような状態だった僕の頭髪を復活させてくれた。問題は僕の顔にある。あと発作的にツーブロックにしようとした頭の中身。
反省しろ、自戒するには丁度良い。鏡を見ればそこに反省すべき現状が写っているのだから。

さて、ここ最近は夜な夜な映画を観ている。初秋と言って良いだろう、涼しくなってきたし芸術の秋と洒落こんでいるわけだ。今回はテーマを絞って、というかぶっちゃけ数年前からハマっているあるジャンルの熱が再燃、それに絞って映画を視聴している。
すなわち「ゾンビ映画」。
元々、僕のそれなりに多くある趣味の一つ「試写室通い」(これについてはまた改めて書く事もあるだろうけれども、僕は遠征先で他のバンドメンバーがホテルに泊まっても単身そうせずにしけこむ程、所謂ビデオ試写室が好きである。特に日本昔話の中でも相当にポピュラーな、あの、そうまさに今の僕の頭のように刈り上げてある、おかっぱ野郎の名前を冠した全国チェーンの試写室が大好きである)でも重要な位置を占めるゾンビ映画だが(2時間パックでDVDが6本、このうち2本は”挑戦”、2本は”前進的”、1本は”安全牌”、残り一本が”ゾンビ映画”なのである)、そこで観た名作達はあの四角い暗がりの正方形の箱の中、スタンリー・キューブリック風に言うならば「エッセンスを失った」僕の倦怠感を多くの血飛沫と腐った肉、そして悲壮感で満たしてくれた。
性欲とモニターの中で繰り広げられる忌まわしい食欲がリンクするわけではないのだが、何だか妙にホッとするんだよ。事後のゾンビ映画って。

で、本格的に心を奪われたのはロメロ監督の「DAWN OF THE DEAD」、このブログでも以前書いたけれどもあの緻密で、後のゾンビ映画に影響を及ぼしたシナリオ展開、血みどろぐしゃぐしゃというよりかは静かでダークで陰鬱なテンション、そして人間ドラマ。ゾンビ映画って観る前の印象程グロにはしってもいないし、ゾンビ映画の中でもまたジャンルが細分化されるように(何なら恋人と笑って観られるようなのもある。「ショーン・オブ・ザ・デッド」とか)実に奥が深い。
で、数日前に奮起して、その先が長く奥が深いゾンビ道にちょっと足を踏み入れてみようと思った次第。
ここ数日で観たゾンビ映画の感想を備忘録代わりにここに簡潔に書き記しておく。

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『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
1968年公開、モノクロ映画。
後に「ゾンビ三部作」と呼ばれるロメロ監督の記念すべきゾンビシリーズ一作目(前述した『ゾンビ』は2作目にあたる)。
「ゾンビに追われ一軒家に逃げ込んできた人々の恐怖の一夜を描く」という所謂ワンシチュエーションスリラーなのかな、派手な描写もあまりないけれどもラストの突き放した感というか、いきなりこの監督は何て目線で人間を観てやがる!と思った。ゾンビ映画の始祖的な扱いを受けている印象だけれども、にも関わらず実に捻りが利いている。

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『死霊のえじき』
ロメロ監督によるゾンビ三部作の3作目。
地上にゾンビが蔓延して、一部の残された人間(軍人、科学者、民間人)は地下の施設に立て籠もっていた、ってところから始まる。ロメロ監督の作品って一作目の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』も『ゾンビ』もこれも「ゾンビだああああああ怖えええええええ」っていう映画ではなくてゾンビが登場したシチュエーションの中で人間ドラマを描くのが目的なんじゃないかって強烈に感じるのですよ。これも凄く苛々させられる、人間に。
ただ勿論残酷描写もトム・サビーニ(ロメロ作品は勿論、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のセックスマシーン!)先生が担当されている事もあって相当気合が入ってる。思わず「おっほお!」って声あげちゃったもん。
この作品で描かれる「自我が芽生えたゾンビ」が次に書く作品に繋がっていくわけですね。

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『ランド・オブ・ザ・デッド』
2005年、ロメロ監督作品。
人類はゾンビが蔓延した世界に完全に適合していて、要塞都市みたいなのを築いちゃってる。一部の富裕層は高層ビルの中に安全な居住空間を築いており文明人の生活を取り戻しているけれども、一方そのビルの外の世界ではスラムみたいなのが出来上がっていて貧しい人々はそこで生活している。で、壁の外にはゾンビ、って世界観。
自我が芽生えたゾンビのリーダー率いるゾンビ軍団が学習しながら要塞都市に入ってくるよ!だけれども人間達も人間同士性懲りもなくお互い争ってやがるよ!って作品。
何故だ、何故テンションが落ちたように感じるんだ…!

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『ゾンビランド』
いやあ、最高!
良いバランス感で「ゾンビ」+「青春」+「コメディ」+「アクション」が混ざり合ってる。何が凄いって監督が全然ゾンビマニアじゃないそうで。の割に主人公が守ってる「ゾンビが蔓延した世界で生き残る32のルール」がゾンビ映画への視聴者目線からの良いツッコミになっているのが面白い。
ほとんど予備知識なく観たんだけど、あの大物ハリウッドスターが実名で登場した時には舟橋も大喜び。
続編の企画がとんじゃったそうだけど、残念。あー、でもそれでもこの一本が素晴らしいからそれでも良い気もする。
『ショーン・オブ・ザ・デッド』と並んで肩の力を抜いて観れる良作。

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『デッド・スノウ2 レッドVSデッド』
「皆で雪山に遊びに行ったら雪の中からナチスのゾンビが出てきて僕一人だけ生き残りました」っていう映画『デッド・スノウ』のまさかの続編。監督がナチスゾンビを気に入っただけじゃないのっていうくらいのテンションで大暴れするナチスゾンビ!
前作はあくまで人間として戦って(逃げ惑ってもいたけれど)主人公がナチスゾンビの右腕を移植されて一気に強くなり、ある能力まで身につけちゃうっていうのがもう普通のゾンビ映画を作る気はあるかって?F××K!みたいな気概も伝わってくる。
きちんとグロいし、変なカタルシスもあるし、最後は何故だか感動してしまった。していいのか、あれで感動を。

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『ゾンビハーレム』
「仲間の一人が離婚の危機だから男だけで女ばっかりの街へ行って男の威厳を取り戻そう!」というわけで集まった5人(+1名)のうだつのあがらない中年男達。で、いざその女ばっかりの街へ行ってみるとそこには何故か女にしか感染しないウイルスによって町中ゾンビだらけに!
設定とか真相とかどうも良い、俺はこれがやりてえんだ的なノリを感じつつも、邦題から受ける印象の3倍くらいは真面目に作ってあるゾンビ映画。何より多くのコスプレ(?)で登場する女ゾンビ達を観ているだけでも楽しい。
適度にグロいし。
男仲間って頭悪いけど最高だよな!っていう妙な楽しさがある。大人の修学旅行+ゾンビ的な?
違うか。

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『デッド・フライト』
旅客機の中でゾンビ、大暴れ!
それだけ。って言っちゃうと身も蓋もないけれど、わりかし結構、本当にそれだけ。なんていうかオチも読めるし変な捻りもない。わかりやすけりゃいいんだよ!って感じのゾンビ映画。
「そんな!無茶な!」ってシーンが幾つかあって、それが楽しい。

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『ゾンビ革命-フアン・オブ・ザ・デッド』
キューバ発、ハイテンションゾンビ映画!
40歳にもなって仕事もせずに「俺はやれるんだよ」と嘯いちゃう、結構わりかしアウトな大人フアンがゾンビが大量発生したキューバで大活躍!「貴方の愛する人、殺します」という、ゾンビ始末代行業を初めて一攫千金を狙うのだが、って作品。
ラテンのノリってこういう事なのかな、いや、違うだろと内心ツッコミつつ、けれどもこの作品には妙に乾いた感じと熱がある。テキーラとかグイッと煽りたくなるような、そんな感じのゾンビ映画。
これがね、結構良作なんですよ。コメディ要素も強くって「そんな馬鹿な!」ってなる瞬間もあるんだけど、でもきちんと丁寧に作ってある。グロ描写も然程強烈ではない、というか毒ッ気の方が強くって気にならない。
駄目な大人同士の友情に適度に胸を熱くさせられ、泣きそうになって泣かされない。そのバランス感も個人的には好きです。
ゾンビ映画で散見される(とかくこうしてバババッと観ると近年の作品に多い)男同士の友情って、妙にゾンビと相性が良いから不思議だ。

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