訃報に際して。

この一週間の間、ちょっと言葉を失っていてSNSもこのブログも何も書けなかった。

親愛なるずっと年下の友人の訃報が届いたのは今から丁度一週間前。
朝起きると見慣れぬ番号からの着信とショートメールが大量に残っており、見てみると彼女のお姉さんからのものだった。彼女は若くして亡くなった、との事。現実味がないまま電話をかけ直し、事情を聞く。そこから通夜、告別式まで現実味がないがどこか漠然とした喪失感を抱いたまま時間を過ごした。
堰を切ったように悲しくなったのは告別式の夜。身近な人間の前であられもなく泣いた。

僕より遥かに若いのに表現に対する姿勢は背筋が伸びる思いをする程、真摯な人だ。
「まだお互いに面白いという事を見せつけあっていないので近々ちゃんと突きつけあおう」と約束したばかりだったし、実際僕は彼女と共にものを作っている最中だった。
ちょっとした書き置きが彼女から残されており、ご家族のご好意で頂く事が出来た。それを見る度に彼女との深夜の通信、楽しかった会話、年齢を超越したやりとりが思い返される。
物凄く、良い女だった。中身も容姿も、これから更に磨きがかけられるところだったろうに残念でならない。

人はいつか死ぬ、と言うのは容易いし人生は素晴らしい、というのも同じくだ。
近しい大人として彼女に年齢を重ねる喜びを提示出来なかった事に責任を感じるけれども、でも彼女の表現に賭ける情熱を知っていたからこそどうしようもなかったのかもしれない、とも思ってしまう。まだ整理は出来ていない。彼女の存在を自分の中で昇華出来るのはまだ先なのだろうな、とも思う。

本当に美しい、瑞々しい人だった。
君の事を忘れないし、まだまだ考えるよ。
どうか、安らかに。

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