ナトリネ、お疲れ様でした。

今まで何度も(この日この日この日この日この日この日も)ベースギターを手にサポートしてきたナトリネの解散レコ発ワンマンライブでベースギターを弾いた。
聞くとナトリネは約5年間活動をしてきたようで、その中の2年間、折に触れて僕を起用して演奏に臨んでくれたナトリネとの最後の演奏。演奏後の達成感も含めて、恐らくどれだけ書いても書ききれないだろうけれども、ちゃんと記録として留めておこうと思う。

この日のナトリネは実に総勢9名のサポートメンバーを迎えた大所帯。同時に演奏しなかった人も勿論いる(というのもベーシストだけで4名もいたからだ)けれども、全員で一丸となって演奏したと強く感じられた時間となった。自分の演奏以外の時も成り行きを見守って、場の空気を感じ、そしていざ自分の出番となるとそれをどう次に繋げるか、誰しもが意識していたんじゃないだろうか。
あれだけ多くの人間が、しかも普段は活動する畑も違えば重ねてきた時間も違う、そんな人間達が関わって全員がモチベーションが同じくらい高く、それでいてそれぞれの領分できっちりと演奏に貢献出来るっていうのは何よりもまずナトリネ側から何を求められているのかがとてもわかりやすかったという事がある。実際、当日の進行表を見、そこに並んでいる顔ぶれを見、曲目を見て僕は自分がどういう立ち位置で流れの中に存在するべきかすぐに察する事が出来た。
演奏後に他のサポート陣営と話をして、皆同じ気持ちだったという事がわかってつくづく、ナトリネ側のスマートさっていうのか、参加メンバーの旨味をよく理解してくれた上でのオファーだったのだなと痛感した次第だ。
いやはや、何をして欲しいのか、何をするのが美しいのかわかりやすかったお陰で、僕は炸薬みたいな演奏に徹する事が出来ました。

ノンMC、曲間にナレーションを挟んでのぶっ続けの一時間、それで一つの作品という構想はナトリネの世界観を表現するのにとても適していたし、とても美しい形で結実したのだなと振り返って、思う。本編が始まった時、出演者控え席で思わずグッときたし、演奏後も目が離せなかったもの。
そしてそれぞれが素晴らしい演奏をしていたサポート陣もそうだけれども、何より茜ちゃんと梶君の二人が今まで観た事ないくらい活き活きと演奏していたのが本当に美しかった。二人とも本当に楽しそうで、そしてそれがとても良い演奏だったというのが本当に、参加側なのにグッときた。
集大成であれが観れたんだもの、納得しちゃうよ、そりゃあ。

素晴らしい音楽には凝った演出も、舞台装置も、空間的な気遣いも、エンターテイメント要素も、きっといらないのだろう。だけれども素晴らしい音楽にそれらが加わった時、本当に芯の強いものが生まれるのだと強く感じた。
それが作られていく現場に立ち会えた事、自分の演奏がその一部になったんだと振り返って思える事がとても嬉しい。
そして想像していたよりも遥かに健やかで、清々しい解散を果たしたナトリネ、茜ちゃんと梶君の二人にも本当に感謝しています。音源発売、おめでとう(僕もベースギターにビッグマフをグイッとかけて弾いています。自慢の演奏です)お疲れ様、素敵な思い出が出来ました。昨夜の経験って、今後の自分としても誇れるものになるでしょう。

最後に、打ち上げ時に撮影した集合写真を載せて思い出を締め括ります。
ナトリネに、乾杯!

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