人間ドックから判明した37年の真実

実はここ最近、ずっと自分の体がどうにかなっていやしないかと気が気ではなかった。
人間ドックの結果が郵送されてきたのがゴールデンウィーク中。何故か実家に届いたのだが恐らく僕がまだ実家住まいだった頃に利用歴があったのだろう。

内容を見て「え」と思わず声が出た。
判定:要精密検査である。脂肪肝と腹部エコーに異常あり、との事。脂肪肝はまあ、食生活が無茶苦茶だからさもありなんという感じはあるが腹部エコーに異常とは一体。どうやら膵臓の辺りに異常所見があるようだったが、一体全体どういう事なのだろう。「膵臓」でインターネット検索してみると怖い単語や記事が沢山出てくる。
人間ドックを受診した病院は、土曜も午前中なら内科の外来が開いているようなので連休明けに早速行ってみた。
「1ヶ月で500グラム痩せるのを目標にしましょう」と生活指導を頂いた。食生活を改めて適度な運動もせねばなるまい。うむ。
「膵臓はね、うーんちょっとこれ、半分写りが良くないので造影剤を入れてCTを撮らせて下さい」
「先生、これ見たところ癌ですか、死にますか」
「いや、そういうのではないね」
とそんなやりとりをしつつそのまま撮影。
「来週には撮影結果も出ますからまた結果を聞きに来て下さい」
「よっぽど悪かったら連絡頂けますか?」
と心配だったのでお伝えしたのだが、いやこの言葉が自分で自分の首を絞める事になる。

週明け月曜日、有給を頂いていたので行きつけの中古ペダル屋に行き掘り出し物をゲット、ホクホクして帰っていると(ちなみに往路も復路も相応の距離を徒歩で移動した。先生から『歩くのは良いですよ』とアドバイスを貰っていたので)見知らぬ番号から電話が。見知らぬ番号であったのでどうしようか迷っているうちに切れてしまったのだが、調べてみてドキリとした。病院からである。
「よっぽど悪かったら連絡頂けますか?」
「よっぽど悪かったら」
何の気無しの、何ならそうなるはずがなかろうという事で発した言葉がすぐに脳裏をよぎった。折り返さないわけにはいかないのですぐに折り返す。先日の先生に繋がった。

「あ、舟橋さん。検査結果が出たんですけどね、これがね、舟橋さんの膵臓、どうやら半分脂肪化してるみたいなんですよ」
「脂肪」
「ええ、脂肪。これ、珍しいので紹介状書きますから専門医に診て貰って下さい」
「先生、死にますか」
「いや、そういうのではないと思いますが。後々リスクに繋がる事も考えられるのでちゃんと調べて貰いましょう」

電話を切ってその足ですぐさま紹介状を貰いに行った。
紹介先は実家を出て妻と最初に住んでいたところに程近い、大変大きな病院である。最後にそこに行ったのは仕事先で出会った方のお見舞いだっただろうか。まさかそこで診て貰う事になろうとは。

行ってみると大学付属の大きな病院である、病棟が幾つもあり広大だ。かつて行った時より綺麗になっているような気もした。
内科外来の待合室は大変混雑していた。立って待っている人も少なくない程である。これだけ病人がいるのか、と思うと同時に自分のその一人であると実感した。待合室の液晶モニターには診察室前へ誘導する為の番号表示の合間に先生の紹介が映し出される。
「癌に対する集学的治療を…」
「最新の癌治療を…」
内科待合室なのでそりゃあそういう研究をされている先生の紹介が映されるのは当然なのだが、膵臓癌とかそういう単語にナーバスになっている身には正直、こたえた。
予約時間よりおし気味で診察室へ案内される。
「僕の見たところ、これは癌とかではないけどちゃんと客観的に否定したいので腫瘍マーカーを入れて血液検査をしましょう。あともう一度腹部エコーね。で、膵臓の専門医の予約を入れておきますからね」
おお、膵臓・肝臓内科担当の先生からから膵臓の専門医の先生へバトンタッチである。
「先生、これは珍しいですか」
「まあ、そうだねえ」
「ダイエットしたりしたら脂肪に置き換わった膵臓は元に戻りますか」
「あ、そういうのはないよ」
え、ないんだ。あまりにキッパリ言われたのでさしてショックもなかったが、インパクトはあった。
その日は診察後、血液検査をして帰宅。

腹部エコーは若い女性の先生が担当だった。
感じの良い人だったが、腹に機械をグッと押し当てられて「あー、この人美人だな」とか考えてたら変な気持ちになった。つくづく、下衆である。

そしてお待ちかねの膵臓専門医の先生の診察の日。
「舟橋さんなんて事ないですよ、来年くらいにまた見せて下さい」くらいになると良いなあと思いつつ診察室へ。今回は大変スピーディーだった。受付してから10分後には診察室にいたのでは。やはりピンポイントで膵臓、だからか。
担当して頂いたのはH先生。スリムで優しそうな男性の先生である。マスク越しなのではっきりとはわからないが、年齢もお若いとお見受けした。
座ってまずは血液検査の結果、腫瘍マーカーに異常な数値はないとの事。もっと細かく見たいので追加オーダーを入れたいとの事、再度血液検査をする事になった。そして驚いたのだが「舟橋さん、しっかり検査したいので3日程入院して頂く事は可能でしょうか」と書類が出てきた。どうやら膵臓は本当に見えづらいらしく「人間ドックで見つけて貰えてラッキーでしたよ」くらいの条件との事。胃にカメラを入れて膵臓に近付いた状況で確認する事で精度が上がるそうだ。そして場合によってはカメラの先端から針を出して細胞をとる事まで出来てしまうそうだ。凄いな。
勿論、断る理由はない。検査入院する事になった。
「先生、珍しいですか」
「いや、僕は(膵臓の)専門ですから診ますよ、こういうの」
「先生、これはその、心配した方が良い状態ですか」
僕のこの問いに先生は僕の方を見、優しい口調でこう言った。
「僕は心配して欲しい時はハッキリ言います。今は心配する必要はありません」
一連のやり取りから、信頼出来る先生だと感じた。この人なら胃袋の中にカメラを突っ込まれても安心だ。
「検査は先生が?」
「僕ですけど、いいですか?(笑)」
是非お願いします、と深々と頭を下げたのであった。
検査といえども入院するなら早い方が良かろう、と言う職場の上司の配慮で入院したのはその翌々日。物凄くスピーディーだ。対応して下さった病院、職場に感謝しかない。

人生で初めての入院である。
恐らくは時間も沢山あるだろう、と携帯ゲーム機と文庫本を何冊か持ち込んだ。結果的にあまりゲームをする事もなく、本ばかり読んでいた。大部屋なのでボタンをカチャカチャ押してる音が同室の方に迷惑かな、と気を遣ってしまったのであった。小心者である。
病室に入るとすぐさま先生が来て下さり、先日の血液検査の結果と入院中の検査の流れを教えて下さった。詳細な血液検査もやはり腫瘍マーカーに異常な数値はなし。ひとまず安心した。
その後、少し時間を空けて夕方にMRI。
ベッドごと大きな音を立てる機械に入っていきそのまま体をスキャンする、あれである。
寝ないように気をつけて下さいね、と言われつつ何度かウトウトしてしまった。その度にヘッドホンから技師さんの「はい呼吸して下さいねー」と声が流れ、それで目を覚ます。
病室に戻って読書をして時間を過ごす。兎に角読書。持ち込んだ文庫本はいずれも一度は読んだはずであるが津原泰水著『蘆屋家の崩壊』が滅法面白く熱中して読む。何度読んでも面白い本というのは恐らく、本当に面白い本だ。
ゴロゴロしながら読書に打ち込みつつも、それでもやはり腹は減る。病院の地下にコンビニエンスストアがあるのは知っていたのだが、迂闊にそこに行って買い出しして良いものかどうかも判断に迷う。結局夕食まで空腹を抱えながら読書した。

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人生で初めての入院食は、イメージに反して美味かった。最近は食生活を見直した結果、白米よりかは野菜という生活をしていただけに白米を茶碗一杯食べるなんざ久しぶりだ。尤も栄養士さんが計算して組んだメニューであるはずだから、疑う事なく楽しんで食べた。
翌朝、体重を測ると少しだけ体重が落ちていた。凄いな病院食!たまたまか。

病院2日目は午前中から検査。
その前に看護師さんが予約してくれたシャワールームを使って体を清める。熱いお湯を浴びるのはやはりホッとする。
これがメインの検査である。胃にカメラを入れる関係で朝食と昼食は抜きなので栄養補給兼水分補給の点滴を打つ。点滴では腹は膨れぬ、と思っていたのだが看護師さん曰く腹が減らない点滴もあるのだそうな。

点滴を打ちながら待機していると検査室が空いたようで呼び出された。看護師さんに誘導されながら検査室へ向かう。
手術着を着たH先生のお姿が見える。「宜しくお願いします」と一礼。
検査室は何人もの看護師さん、そして恐らく医学生さんだろうか、ここがあれでそこがそれと説明を受けている若人が何人かいた。静まりかえっているよりずっと良い。気が滅入らなくて良い。
まずは喉に麻酔をかけるという事でゼリー状の麻酔を喉の中で5分程溜めて欲しい、と言われる。飲み込んでしまっても体に悪いものではないそうだが、頑張って喉に留める。最初はひんやり感じていたゼリーの違和感が麻酔が効いてくるのに伴って何も感じなくなっていく。
その後、横向きに寝て体を検査台に固定される。
口に家具をはめられて、今思えばあれが麻酔の器具だったのだろう、そこで意識が途絶えた。次の記憶は途切れ途切れだがストレッチャーで病室は運ばれていく光景だろう、看護師さんの顔と天井を見た記憶がある。病室のベッドに横になってうつらうつらしていると少しずつ意識がはっきりしてくる。気がつくと昼過ぎ、もう間も無く3時というところだった。まるきり時間旅行である。

夕方頃、すっかり覚醒した頃にH先生が病室へ検査結果を伝えに来て下さる。
結論からいうと、僕の膵臓は人のものよりサイズが半分程小さかったそうだ。生まれつきそうであろうとの事。脂肪に置き換わっているのではなく、元からなかったのだ。腫瘍も見当たらなかったので細胞をとる事さえしなかったが、それでも存在する半分の膵臓はちょっとくたびれているそうで、今後慢性膵炎に発展しないよう、また糖尿病を発現しないように経過観察をするという。
アフターフォローもして下さるなら安心だ。それよりも大きな病気でなくて安心した。人のものより小さい膵臓で37年もやってきたのであった。よく頑張ってくれているね、僕の膵臓。これからは食生活に気を遣うので、これからもどうかひとつ、宜しくお願い致します。
次の診察は3ヶ月後。ひとまず今回は一区切り、だ。

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夕食は焼肉定食。栄養バランスに気を遣って小鉢は野菜であった。やはり見た目通り安心感のある、裏切らない味付け。一ヶ月にわたる不安から解放されて(やはり正体がわからないのと得体が知れるのでは後者の方が安心感があるし、大病でない事が何よりホッとした!)の夕食は格別であった。ガツガツ食らった。
診断もはっきりして安心したので妻と娘とテレビ通話。就寝時間間際のロビーは入院患者の唯一の通話が許可されている地帯なれども閑散としていた。妻と娘の顔を見てホッとするも、娘は遊ぶ事に夢中。それで良い。強く育ってくれ。

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その夜も一泊して翌朝、朝食を頂いてから退院。朝はパン食の人もあったようなのだが、僕のは米食だった。内心「パンかも」と久々のパンに期待していたのだが。だが文句は言うまい。朝食は野菜多め。渋いね、と思いながら食べ進め、誤解に気がつく。ツナは味わい深く、旨味が強いので立派におかずになるし練り梅はご飯にかけて食べるとまるっきり米泥棒。気がつくとあっという間に茶碗の白米がなくなっていたのであった。
退院の手続きをして、無事に退院。3日間の短期入院とはいえ、実感的には久々の娑婆である。
実家よりわざわざ父が自宅まで送り届けに来てくれるという。なんて有難い。外に出てみると台風のような強風。ますます車での送迎が有難い。
それにしても、どうにも足元が不安定な感じが続く一ヶ月であった。自分の体がひょっとするととんでもない大病を抱えているかもしれないというストレスは結構なもので「いや先生も大丈夫って言ってるし大丈夫だろう」と「でもひょっとしたら」の間を行ったり来たりしていた。妻にも負担をかけたと思う。僕は打たれ弱いのだと再認識。

しかし結果的に自分の体の事をよく知る事が出来たし、これをきっかけに生活習慣も改善するよう試みている。人間ドックには良いきっかけを貰ったと実感している。
健康、第一!!!

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