自分と音楽との関係。

その昔、音楽を自分より長くやっていた人から「お前も自分で歌を書いて自分で歌ってみてはどうか。お前の言う自己表現はそういう事ではないのか」と言われた。
その言葉はその人なりに僕の表現欲求を慮っての事だったのだろうと思うけれども、一瞬考えて答えはすぐに出た。
「そういう事ではない」

僕にとって自己表現とは歌詞を書いてメロディを考えて歌う事ではなかったし、時として曲を作る事と直結するものでもなかった。自分の中から出てくる「やりたい」をそのままやる事が自分にとっての表現で、作品という形に残す事は二の次で衝動そのままに手を動かす事が嘘偽りのない表現。強いて何かを作品とするのであれば自分自身の活動それ自体を作品としたい、と今思えば相当に思い上がった事さえ考えていたものだ。
けれども未だに歌詞を書いてメロディをつけて歌を歌う、という発想は自分の中に微塵も存在せず、もうこればっかりは本当にその気がないのだろう。

「曲を作る事なんてないんだろうなあ」と漠然と考えてはいたのだが、それから数年後に僕は作曲行為に手を染める事になる。
歌詞を書いてメロディを作って、というそれとはちょっと違ったけれど。

有難い事に即興演奏であったりアンビエントやドローンの『ような』具体的に抽象的な音楽を演奏する機会にその後恵まれるようになり、瞬間瞬間での作曲行為ではあったが僕は自分の中から出てくる音楽を人前で披露する機会を持つ事になる。とはいえそれらは一つとして記録として何らかの媒体に残っているわけでもなく、人前で披露されると同時に消えてゆくものでもあったのだが。

時に、人様の作品に音楽を添えるという形のご依頼を頂戴したりもするが、そういう時は作曲というよりかは、空間をデザインするというと随分と高尚な感が否めないけれどもそういった気持ちだけは持って取り組むようにしている。気持ちだけなら誰しも持ち放題!
この10年で音楽への取り組み方が変わってきたなと感じる。
これからの10年でもきっと変わるだろう。
コロナ禍を経て、というのがいささか不本意な変化ではあろうけれども。

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