再会を喜んだ話。

2014年も残すところあと一ヶ月となった。一年という単位から見れば今年一年はあっという間に過ぎ去った。年齢を重ねると月日の流れが早くなる、というのはどうやら本当らしい。
しかしあった出来事、起こった出来事や自分が体験した事を振り返っていくと例えば半年前の事でももう随分と昔の事のように思える。つまり、安易な発想かもしれないけれども今年も盛り沢山な一年だったという事で有難い限りである。無為な月日を重ねて一年が長く感じる、その何倍も良い一年の過ごし方をしているとは思う。

今日、職場に中学時代の恩師がやって来た。
中学二年生の時に担任を受け持って頂いた方で、理科を教えてらっしゃった快活な先生。冗談も言うし、楽しい先生で生徒からも人気があった。けれども真面目な方で、僕も随分とひねくれた中学生ではあったと思うのだけど(しかし思春期を振り返ると僕の周りの人間は大抵「屈折してた」とか「色々とこじらせていた」とか「思い出したくもないくらい勘違いしてた」と決して学校社会に適応していたぞ、なんて言わないもんだから、えてして思春期というのは皆そういうものなのかもしれない。違うか)、随分と先生のお陰でまともな人間に近付けたと思う。生徒の長所と短所をしっかりと把握されており、かつ長い目で見てらっしゃったのだな、と当時の先生を思い返して今思う。
けれども久しぶりに見かけたそのお姿は随分と印象が違って、外見は全くと言って良い程変わっておられなかった(15年という月日を経たとは思えない変わらなさだった)のだけれども雰囲気がこう、あの明るかった先生とはちょっと違って随分と落ち着いてらっしゃったもんだからこちらから声をかけるのを最初迷ってしまった。
けれども、意を決して声をかけると「おお!君か!」とすぐさまあの先生が、眼前に立っておられた。そりゃあそうだよな、普段からそんな快活にふるまう人の方が少ないかもしれない。僕が見ていたのは特定多数を前にした先生のお姿だったわけだし。
そこからしばし話し込む。15年も経っているので名乗るところから始めて何年前の卒業生で、と話を進めようと思っていたのだけれども名乗ったらすぐさま「高校卒業後に大学はどこそこで卒業後は」ともう完全に僕と認めて下さった話を始めて下さって。本当に驚いた。
そこまで派手な生徒だったわけでもないし、目立たないとは言わないけれどもそれこそ長い教員生活の中で受け持ったたった一人の生徒だった僕の事を名前を聞いただけで記憶に蘇らす事が出来るだなんて、ああ、どこまで時間が流れても僕と先生は「教師と生徒」なんだなあとさえ、感じ入ったものだ。
しばし近況報告等をして「じゃあまた来るな」と先生。
本当にご挨拶して良かった。人の記憶の中に自分のかつての姿が少しでも(少しでも、だなんて言うにはあまりにも先生の記憶は鮮明だったけれど)残っていたという事実に妙に嬉しさを憶えるのは、僕のきっと生き方、感じ方に起因するのだろう。

人は生きていく間で多くの人間と関わって、時間を重ねたり別れたりする。再び交差する人間もいれば二度と交わる事のない人生だってあるだろう。僕は出来るだけ多くの人間の中に自分の痕跡を残したい、と思う。例えそれが良いものだろうと、なんなら悪いものだろうと構いやしない。
安っぽい口説き文句に「そんな女だと思いますか」と返してきた瞬間が、実に格好良くて同時にそんな事を思ったり思わなかったり。
なんて〆方は格好付け過ぎかね、そうかね。


著者、近影。

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