名探偵に憧れて

名探偵に、なりたかった。

小学生の頃は学校の図書室に置いてあるポプラ社の「少年探偵団シリーズ」を読み耽っていた。
表紙が妙に写実的で、それがかえって陰惨で狂気じみたイメージを煽りたてるこのシリーズは、江戸川乱歩の怪奇/エログロ嗜好を冒険單というオブラートで包み込んだ良作揃いだろう。
我が国の探偵小説史上、恐らくは未来永劫その名を輝かす怪人二十面相はこのシリーズから誕生したのである。「D坂の殺人事件」等でうだつのあがらない素人探偵として描かれた明智小五郎がこのシリーズではパリッとした、後の『探偵小説』における粋でエレガントで所謂『格好良い』探偵として登場、活躍するのだが、こちらを先に読んでいた自分としては素人探偵としての明智小五郎の姿には驚きを感じたのを記憶している。
この二人の明智小五郎を同一人物とみなし、かつ強引に時系列を結びつけるのであれば「D坂~」等は「少年探偵団シリーズ」の明智小五郎の過去の姿であり、所謂前史と認識する事も可能である。一時期様々な創作分野で見受けられた『エピソード0』的な印象を受けたものだ。明智先生、お若い頃と比べて随分とご立派になられたのですね。
ちなみに僕は素人探偵としての明智小五郎の方が、愛嬌というか人間臭さがあって好きだ。完全無欠、人として全く隙がない探偵役にはあまり人間的な魅力は感じないのだが、「少年探偵団シリーズ」の明智小五郎は狂言回し、或いは作品終焉のためのジョーカー的な役割が少なからず込められていると考えているので、この場合に於ける彼の完全無欠さは致し方ない所があるだろう。

さて次に舟橋少年が入れ込んだのは、パリッとしたスーツを身につけ髪の毛を丁寧に撫でつけた明智小五郎とは風貌からして真逆の、ロサンゼルス市警の警部殿だった。
「刑事コロンボ」である。
もじゃもじゃ頭でやぶにらみ、薄汚いレインコートに身を包み所構わず安葉巻をふかす、このパッとしない中年刑事に僕は夢中になった。彼の口から語られる『うちのカミさん』、絶妙に間の『悪い』タイミングでの「あともう一つだけ…」、そして実在するかすら怪しい親戚達、捜査と全く関係が見受けられないような世間話。それらの全てが、それらの不要と思われがちな要素こそがこの名警部(ちなみに原語では警部補)の魅力であり恐ろしい所なのだ。
倒叙物、といわれる構図のイメージを担う事になった「初めから犯人がわかっており、探偵が如何に犯人を探り当てるか楽しむ」スタイルは、このシリーズに於いては『生活レベルが高く』『上流階級で』『社会的地位もあり』『専門的な知識を有しており』『人の上に立つ人間』を豪華なゲストスターが扮する事を可能にした。
これによって「刑事コロンボ」は『上流階級VS庶民』という我々の感情移入のし易いエピソードの大筋と『ゲストスターVSピーター・フォーク』という海外ドラマ史上実に有意義な構図の二つを同時に実現し得たのである。
精神科医、弁護士、探偵会社社長、科学者、大物俳優、指揮者等、我々が普段接する機会のない職種の人間の仕事と生活を描き、そして彼らが知恵を絞ってどのように完全犯罪を成し遂げんとするかを描くのだ。彼らのいずれもが例外なく捜査現場に紛れ込んだ浮浪者のような警部によって犯行を暴かれてしまうわけだが、この『対決構図』には本当にやられた。
「いつかは僕もコロンボの犯人が住むような豪邸に住んでやる」
このシリーズは幼い僕に強烈な印象を植え付けたのであった。

以下、気が向けば続く

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