回転寿司の感動。

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友人が「人間の3大欲求の絶対量が100だとしたら、それぞれ数値をどのように振り分けるか」という質問に対して「食欲が40、睡眠欲が30、性欲が30」と答えていた。
概ね同感だ。ともすると食欲にもう少し加算しかねない。僕はそういう男だ。

食欲の秋、というが食いしん坊にとっては年柄年中食欲は衰える事を知らない。
春はうららかな日差しの元、新しい生活と何かが始まる予感を胸に食べ、夏は燦々と降り注ぐ日光の下、体力を奪う暑さに負けないように食らい、秋は色彩がセピア調になっていく風景を眺めつつ旬の物を香りとともに胃袋に入れ、冬は皆で一つの鍋を囲んだり、寒さに負けないよう栄養のある暖かい食べ物を飲み下す。
秋だけに限定するなんて勿体ない、そうやって“食欲の四季”を愉しむのだ。

今夜は特に食欲を遺憾なく発揮してきた。
両親と回転寿司に行くとするならばほぼ一店舗に限定される。我が一家の寵愛を受けるその店は価格設定は決して安くはないのだが、それ以上に味が良いという事で何かの折りには訪れるようにしている。どうやら両親と兄一家でもよく行っているようなのだ。

僕はと言えばこの店に訪れるのは半年に一度、と決めている。理由は簡単、自腹をきって訪れるにはこの店は僕の財布には負えないし、何より頻繁に訪れたら、舌が肥える。
寿司を食らう、というシンプルな感動をこの店に占有させてはならない。この店の寿司が寿司のスタンダードだなんてハードルが高過ぎるのだ。
所謂ファミリー寿司だって十二分に旨いし、そこには紛れもない感動が存在する。一皿100円の寿司にしたってそうだ。むしろその価格設定故、財布の紐と胃袋も緩もうというもの、ついつい食い過ぎてしまうのが常だ。

そんなファミリー寿司での感動を、コストが高めの寿司屋を寿司の平均値として認識した結果薄めるような事はしたくない。
「旨い!」と範囲が広いのは僕の数少ない自慢の一つなのだ。

それに半年に一度の逢瀬だからこそ味わえる味もあるのだ。むざむざその甘美な瞬間を貪る事によって印象薄いものにする事もあるまい。
極上生ウニの口に入れた瞬間に顔が綻ぶような芳醇さ、厳選された大トロの舌触り、口の中でトロける瞬間のハーモニーはえもいわれぬ快感であるのだから。

コメント

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    舟橋くんに全くの同意見です。

    確かに値段の張るモノは美味い!
    それは当たり前でしょう。

    しかし安くて美味いモノも沢山あるし、少し美味しくなくてもそれなりの良さがある。

    俺は「白子」「あん肝」「光りモノ」が大好物なので、これから訪れる年末から年始にかけて寿司を良く食べますが、あとは稀です。

    物欲が完全に強いので、食べるのも好きだけれどそれに金を費やしたくない(笑)

    食事で1万円以上使うと、これで、CDやレコードや本がどれだけ買えただろう?と、良く後悔するのです。

    うん、馬鹿だね!

  2. フナハシ より:

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    >ピコ・ピコリンさん
    おお、同じ思想ですね!
    安くて旨いものを探す悦び、ってのもありますね!

  3. ろびん より:

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    めちゃくちゃ美味しそうだね!その死んだ魚!!

  4. フナハシ より:

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    >ろびんさん
    何てwww言い方wwwww