孤独部ライブハウス作品「教室」初演でベースを弾いた話

月日の流れに対する長短っていうのは実際の所、相対的なものであると思っている。人それぞれ。別に充実してるから一年が早いってわけでもないだろうし、のんべんだらりと過ごしたからといって一年が長くなるっていうのも随分と早とちりな話である。充実した時間を過ごそうが時間の流れは遅く感じる人はいるだろうし、ボーッとしている割にあっという間に時間が過ぎてしまう人もいるだろう。時間の流れに対する長短は相対的なものだ。
で、最近は一人の人間の中でも何についてか、によって時間の流れに対する長短は変わってくるんじゃないかな、と思う。

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僕の中でも「え、まだそれだけなの」といった具合に感じるのが、孤独部との付き合いである。実際のところ、5ヶ月程しか関わってないんだね。もっと長く一緒にやってるように感じるけど。記憶を辿れば実感の割にライブをやった記憶っていうのはそんなにないから、確かに僕と孤独部の付き合いは5ヶ月そこそこなのだろう。
「学生」という作品は前回のライブにて一区切り、というのは主宰というか唯一の部員である樫山君から聞いていた。「学生」に続き樫山君が持ってきたのは「教室」という作品である。

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スタジオでの稽古時間(ここで演奏陣の演奏内容は決まるので、気持ち的には作曲3割アレンジ7割、みたいな作業である)っていうのは今回はまとまった時間をおさえる事が出来ず(専ら僕のせい!)、それこそ本番当日、新栄CLUB ROCK’N’ROLLでのリハーサル後に徒歩5分の練習スタジオに入るくらいギリギリまで詰めていたのだけど、でもそれだけやった価値はそれ以上にあったと思う。だって本番が一番良く出来たもの。
適度に冷静で、そして有機的で終盤にいくにつれて熱量をあげていくような、そんな自然な演奏が出来たんじゃないかと思っている。しかし語彙力のなさは孤独部での演奏に限らず僕の課題だな。自分の粗っていう奴程、表現活動を重ねていく上で強敵なものはないんじゃないかな、とも思う。

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孤独部でのベース演奏に、いつも通りの機材の組み合わせではパンチが出過ぎなのではないかと思っていたし、しかして自分が抑えられるとも思っておらず、楽器自体を持ち替えてしまう事に。
Danelectroのロングホーンベース、色々と手を加えた結果それなりの音は出るようになっていたので実戦投入。いつもの僕の音がそのまま文字通りスケールダウンしたような、そんな役者さんの演技や台詞とは程良い距離感でやっていけるんじゃないかってな音は出た。

この日のイベントは京都の詩人 chori君のアルバム発売記念イベント。chori君、おめでとう!
chori君のポエトリーリーディング、抜き身の刀みたいで、そしてその刀自体がchori君みたいでいやはや、詩人って人種は凄まじい。

「ねえねえchori君、ちょっと訊いてもいいかしら」
「ん、ええよ」
「詩人ってさ、24時間詩人なわけじゃないか。何ていうんだろう、大変じゃないの?」
「お坊さんもそうだと思うんだけどさ、お坊さんってお坊さんの生き方があるわけじゃん。慣れるもんだよ」
「へえ!」

詩人は生き方。己の言葉、己の発想、己の生活を元手に日々を重ねる詩人の生き方に、憧れを感じたそんな舟橋孝裕、28歳の秋の夜。

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