昔の交際相手との理想の関係はさんまさんと大竹しのぶさんみたいな感じ。エゴだってわかってる。

“連続4日間、人前でアウトプットをする期間”、最終日は新栄CLUB ROCK’N’ROLLにて。
最早恒例になった感もある(という程出演出来ていないのだけれども)座り公演にソロで出演。
詳しく書く事は避けるけれども”規制台本を演じる”事で「このアイディア面白いんだろうか」とか「もっと良い脚本があったのでは」とか考える事がなくなり、その分「演じるという行為」というものに対面する事が出来たと思う。
実際こんなに集中して「演じるという事」に向かったのも初めてだ。夜な夜なお風呂場で、自転車を漕ぎながら、ご飯を食べながら、様々なシチュエーションで時に口に出して時に頭の中で台詞をさらった。
公園で実際に通し稽古を敢行したり(付き合ってくれた友人達、有難う)もした。
僕は先程「向かった」と書いた。「向き合った」ではない「向かった」である。まだ向き合うって書くには程遠い気がするのだよなあ。
本番は結局演じているという実感よりも自分自身である事の方が多かったように思う。
っていうかここまで書いても尚考えているのだけれども、演じるっていう行為っていうのは僕、本当に向いてないとやればやる程痛感する。だから時折試みてみるのだけれども。苦手な事をやる事で得られる事もあるだろうから。で、それをやるには規制台本がベストだなと思う。もうこりゃ、ただの修行だ、ハハハ。

追伸:
演じるよりも自分自身である事の方が多い、というのは僕の場合は程度が低い領域で実現してしまっているけれども、高度な領域で実現するのはむしろ望ましい事のように思うのもまた、事実。

追伸2:
もう自然にサラッと書いたけれども、未だにやっぱり会場入りしてから説明する機会の方が多いだろうから敢えてここでも明言しておくけれども(書かなくなった時、多分僕は本当に自分が望む自分の像の一つを実現しているのだろうと思う)、今回のソロ活動でも楽器を弾かなかった。


楽屋での私。

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