演奏と自分自身の関係性

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19日は大いに楽器を弾いた。
昼から鈴木実貴子ズ練習(この週末は実貴子ズと大阪遠征である)、その後お久しぶりの白線の内側会議、その時間の中でレコーディング(かれこれ一年近くやっているけれども、ようやく完成の目処が立ってきたのである)中の作品のちょいとしたベースギター録音、そして夜は9月2日(日)に千種は喫茶モノコトで行われる『あめつち』という公演の顔合わせ+全体練習という事でエフェクターを沢山持ち込んでベースギターを使っての即興演奏。いや、これだけ練習やら何やらを梯子したのも久しぶりで、ああ、僕が多くの人と関わるコミュニケーションツールは紛れもなくベースギターなんだなと思った次第である。
それにしても、だ。こうして一日に色々な現場で演奏行動をすると少しは昔より変わったのかな、とは思える。ほんの少しだけれども。巧くなった、とは言えない。表現力が上がった、とも言えない。けれども表現の幅は少しは広くなったのかな、と思える。あと新しい事に挑戦する度胸も少しだけ。
面白いナァと思うのが色々な演奏をすればする程、演奏自体はどんどんとパーソナルなものになっていく、個人的な要素を内包していくという事だ。これは演奏するという事の意味合いが自分の中で変わってきたという事なのかもしれないけれども、演奏自体が自分自身であるという思いから放出するその一音自体が自分で在りたい、と思うようになってきた。
今後も演奏と自分自身の関係は変動し続けるのだろうか、どうだろうか。

いずれにしても、『あめつち』、面白い公演になりそうなので是非観に来て下さい。

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