空白を埋めていくブログ その2

11月11日(金)

「着いたー!」

佐藤さんの嬌声で目が覚めた。寝ぼけ眼で辺りを見回すと、そこは新宿JAMの真ん前だった。…高速道路に乗ったっけ?記憶にない。記憶を遡ると、高速道路に乗る前に意識がシャットダウンし、その後も一度も目覚めなかったようだ。

名古屋を出たのが夜中の3時過ぎ、東京に着いたのは9時だから6時間眠り続けていた事になる。うん、何だかんだスッキリしている。

JAMでの就寝許可を頂いていたので、JAMに搬入、搬出を演奏開始時間の12時間以上前に済ます我々。荷物を入れるだけ入れたら、さあ就寝。

というわけにもいかず。同人誌『VS 27』を13日のワンマンライブに間に合わせるには11日、そして12日の東京滞在中に全て済ませる他ないのだ。段ボールに詰めて持ってきた大量の紙を楽屋で広げ、この二日間のサポートドラマー せんちょー(ナナフシ)とお話しながら(せんちょーも車中で眠っていららしく、比較的元気だった)紙をひたすら折る、折る、折る。折りながらも喋る、喋る、喋る。せんちょーはせんちょーで作業があるらしく、二人とも各々の作業をしつつの会話。あんなにゆっくり二人きりで話し込んだの、初めてじゃないかな。

で、気づけばJAMのスタッフさんも出勤され、時計を見れば昼頃。リハーサルまでまだまだ時間はあったのでせんちょーとラーメン二郎 歌舞伎町店へ。新宿に来ると、大抵ここだ。

この日のJAM、レジオキング先輩とシャビーボーイズも一緒。from名古屋のバンドが3バンドで、何だかここが新宿だってのを忘れかけるくらい。リハーサル前に紙を折っていたらレジオキング 尋オメガ君から「舟橋君、二郎行こうぜ」の声が。折角なので、また行く事に。数時間おきにラーメン二郎を食べるっていうのはいつぞやのabout tess takutoさんと行って以来だ。丁度疲れ気味だし、二郎食ってスタミナつけようという発想もあった。

終始眠いのだけれども、いつの間にか一線越えて気がつけば開場、開演。

この日のシャビーボーイズの演奏、僕は一生忘れられないかもしれない。4人の若者が本当に、本当に色々振り絞って演奏していた。シャビーボーイズのライブで微妙なライブなんて、ぶっちゃけて言ってしまえば只の一度も観た事がない。だけれどもこの日のシャビーボーイズは今まで観てきたシャビーボーイズのライブを全てひっくり返してしまうような、そんな凄いライブだった。

僕って音楽で泣いた事って数える程っていうか2回しかないのだけれども、その2回に次ぐ3回目。最初にNUMBER GIRLに泣かされ、次にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに泣かされ、そしてシャビーボーイズに泣かされた。2曲目で涙が溢れ、結局最後まで泣いてたもんな。凄く、心動かされた。

こんなんなかなか言えないけれど「完敗だ」とさえ思った。今日の所は若者4人の圧勝、それでいいとも思えた。

しかして人の心を動かす芸術には僕の信念を持って報いねばならない。すぐにそんな甘ったれた考えは、捨てねばならぬ。

レジオキング先輩もガツッとしたライブを。そう、レジオキング先輩もいつにも増してキレたライブをしていて、今日は一体何なんだ、と思った。名残惜しいけれども、準備をするために楽屋に引っ込む。

で、演奏終了。一生懸命やった。最近は一期一会を強く意識する。あとは自然体。

睡眠不足気味だし、日々の作業の蓄積で疲れてはいるけれども30分間はそれを忘れる。演奏というのは良くも悪くも日々の積み重ねが顕在化する場であると思うが、マイナスの蓄積に関しては強い精神力でそれを乗り切る事が出来る、とも盲信している。

お楽しみ頂けただろうか。ライブの感想って、もう会場の一人一人に訊いてまわりたくなってしまう。それが例え1000人会場にいようとも、だ。

終演後は機材搬出を済ませ、東京の友人と軽く飲みに行く。偶然にもぐしゃ人間の亀さんやごっちんこ先生と鉢合わせし、近況報告やninnnさんの話等で盛り上がる。暫時の間だったけれども、東京っぽさを痛感。

大学時代の後輩にしてカメラマン、ハラマサ君に迎えに来て貰い彼のアパートにピットイン。

作業再開。中途で30分くらい眠ってしまったけれども、12日の正午頃には織り込んであとは綴じるだけ、という状態まで追い込めた。本ッ当にギリギリだぞこりゃあ!!

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