14歳との接近

次の3月で僕は29歳になる。
29歳!思えば自分が29歳になるだなんて昔は全く想像もつなかった。
自分の人生の尺というのを意識したのは20歳そこそこの頃で、当時は自意識を持て余すばかり鬱屈していて「自分の人生は20年そこそこで余りにも多くの悲痛な出来事が起きたのだから、男子の寿命を70年として残りの50年、一体どれだけ陰惨な人生になってしまうのか」と頭を悩ませたものだ。
けれども毎週カウンセリングに通い、自傷行為に耽った当時の僕はそれでも「自意識をこじらせていた」だけだったように思える。僕の陰鬱さっていうのは今思えば自分自身でそれを楽しんでいた節さえあるのだから。思うに、少しずつ周囲に適合していくのに「思春期をこじらせてしまった」舟橋少年に病に臥した”ふり”は必要だったんだろうなあと考える。情けないし、とても美化は出来ないし、そこに一定以上の価値なんて露程にもないけれどもまあそれも青春の思い出。
話が随分と逸れたけれども、そんな20歳の僕からすると29歳の僕なんていうの微塵も想像しなかった。
28歳の僕は毎日健やか過ぎるくらい健やかで、頭の中はどうやって面白い事をやってやろうかという目論見で一杯で、バンド活動もそれを生業に出来る程商業的ではないものの人の前で何かをやる人間としては極めて健やかで負荷がなく、そして何より自分自身を含めて様々な環境の可能性に興奮が醒めやらない。
不安な事と言えば慢性的に貧乏である事と肉体の老化という”負の可能性”だけで(僕でもやっぱり頭髪が薄くなったり落ちる事のない贅肉がつくのは恐ろしい)、些末なストレスはあれどもそれでも未だに心の底から「人生って素晴らしい!」だなんて思って毎日生きている。
さて、何故こんな年齢や若い頃の自分を意識したかというと、ちょっと若い方とお話する機会があったからだ。

義姉から「友人の息子さんが困っているから相談にのってやって欲しい」と話を持ちかけられたのは今からひと月程前だろうか。何でもその息子さん、中学校3年生だそうなのだが学校に提出する研究で「音楽業界で働く人間」についてまとめようとしているそうで「「音楽プロデューサーに知り合いがいたら是非紹介して欲しい」との事だった。残念ながらまだそういう業種の方とは知り合った事はないので(そういう気質の人間はいるけどね)その旨を伝え「ただ、幸いにもレーベルを運営する人間やライブハウス経営者、その他の様々な音楽に携わる方達なら知り合いにいるのでそれも伝えて頂きたい」と義姉に返答した。
結果的に僕の在籍するJONNYが所属するバンド、ONE BY ONE RECORDSの柴山社長をその中学3年生の息子さんに紹介する事になり、取材の段取りも決まり、昨日は少し早起きをして柴山社長宅へお邪魔してきた。

当日の天候の関係(兎に角、暑かった)で、自転車移動から公共交通機関へと移動手段を変更した結果大幅な遅刻をしてしまい柴山社長宅へ到着すると、A君という中学3年生の義姉の友人の息子さんは制服をキチンと着込んでテーブルを挟んで柴山社長と差し向いで座っていた。部活動でだろうか、こんがり日焼けした肌に清潔感を感じさせる切り込まれた頭髪、利発そうな眼差しに落ち着いた物腰。成程、真面目そうな少年である。
「では、そのようにしてイベント等を主催されてきたわけですね」
挨拶もそこそこに取材を続行するように促すとA君はそのように続けた。柴山社長がどのようにして現在に至ったか、という話は取材中に出てくるであろうと想像していたので、ははあ、これはもうその話は終わったんだな、と推測した。
「舟橋さんは、ベースを弾かれるそうですがベースというのがどういう楽器なのですか。御免なさい、そういうのが、全然わからないのです」とA君。
自分が質問されるだなんて全く思っていなかっただけに一瞬面食らった。そして普段なら
「そうですね、バンドの中で一番金玉のデカい人間がやる楽器です」
とか
「地味な楽器と思われがちですが振り回した際のインパクトは想像を絶しますし、何より破壊的な音を出せるので愛用しています」
とか
「あれも結局ギターの一種なんですよ。皆その辺りを云々」
とか答えるのだけれども、それはまずいと思い直した。目の前の少年の学業に関わる事であるし、ユーモアを滲ませたとしても若干緊張している面持ちのこの少年にそれを笑う余裕はないと思われたからだ。
「そうですね、リズムと音階の接着剤。そんな役割の楽器でしょうか」
と答えた。視界の端で日頃から僕の演奏を見ている上に演奏スタンスも知っている柴山社長がニヤリと大きく笑ったのを捉える。その社長が続けた。
「一般的にバンドっていうのは、ベーシックな形としてヴォーカルがいてギターがいて、ベースがいてドラムがいてっていう構成だったりするわけなんですけれど、このドラムとベースを『リズム体』と言ったりするんですね。これは極論なんですがヴォーカルとギターはある程度までは演奏が巧くなくてもそれが”味”としてプラスに音楽に反映される事があるのですがリズム体はそうはいきません。ドラムが巧くてもベースが酷いと演奏がガッタガタになる。そんな楽器だと思っています」
明らかに僕を意識して牽制した発言に、今度は僕がニヤリとする番だった。

A君もよもや目の前で、レーベルオーナーとその所属バンドメンバーの心理戦が水面下で行われているとは思うまい。続いて、質問。
「舟橋さんはバンドをいくつもされているそうなのですが、各バンドのメンバーとコミュニケーションというか、やりとりはどうやってされていますか?」
(あー、うんこおしっことか言ったり時に笑って時に泣いて、殴ったり罵倒したりとかそんなん、言えない!)
「…えっとですね、僕がやっているバンドというのは様々です。音楽も違うし当然そこにいる人間も違う。なので当たり前のように同じ付き合い方をしているわけではないでしょう。そこは無自覚だったりするのだけどね。でも、各バンドのメンバーを尊重したりしつつ、そのバンドの音楽に自分がどうやって貢献出来るか考えますね」
よくやった、俺。模範解答!
続けて柴山社長。
「僕は彼のバンドを全部見ていて、当然だけどそれぞれの人間模様も全部ではないけど見てるんですよね。僕が見ている限り、彼は緑レンジャーなんだと思う。ほら、ゴレンジャーって赤色が主役でピンクが女の子で、って色によって役割が違ったりするじゃないですか。舟橋はそれでいったら緑なんですよね」
この例えは、残念ながら世代の違いによって伝わらなかった事を記しておく。

バンドの世界に足を突っ込んで、その面白さに抜け出せなくなった成人男性二人の話が中学生にどこまで良い影響を与えたのか、そしてそもそも彼の研究的に今回の取材が役に立ったのか(特に僕の話)、それは僕にはわからないけれども、少なくとも僕と柴山社長は首尾一貫して楽しかった。なかなか世代が違う、特に中学生の方とお話する機会なんてないわけだし、その媒介が「音楽」だったり「バンド活動」であるというのは本当に素敵な事だと思った。
若者よ、君の前途には色々な困難が待ち受けているだろうけれども僕みたいに適当(良くも悪くも、である)な人間がこれだけ毎日楽しく生きていられるのだから君の未来もきっと、明るい。願わくば、君の未来に素敵な音楽との出会いがありますように!

帰りの車中にて。
「ところでA君A君、君、好きな子とかいるの?」
「…いないです」
「えーーっ!!うっそだーーーー!!!!」

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