よく見ると最後方にてnothingman今井さんが変顔を披露している。
ライブとは、僕にとって闘争に他ならない。
それを再認識するのに十分過ぎる一日だった。
十三FANDANGOという大阪のライブハウスに、JONNYとレーベルメイトnothingmanで訪れたのは2010年4月21日。親友夫妻が新しい命を授かった日(これについては後日、また)、僕は大阪で体中に傷をこさえながら兎にも角にもまずは自分、自分が納得するようなライブを敢行しようとしていたのだった。
前夜から所用で別行動だった野々垣メンバーが抜けた分、敏腕スタッフ吉田ヒズム(fromパイプカットマミヰズ)を加えたJONNY班が名古屋を出発したのが当日午前10時。「時間的にギリギリになるかも」という話だったnothingmanチームの方が余裕を持って会場入りしたというのはどういう事だ。JONNYというバンド内では時間の流れ方が独特なのかという疑念すら湧く。
さてスマートかつ円滑な会場入りを行ったnothingman、果たしてライブは本当に素晴らしかった。人よりは少ないものの、相応に色々なライブを観ているけれどあそこまで環境に左右されずにブレない演奏を行うというのは素晴らしい。いやさ、ブレないどころか以前観た時より確実に良かったろう昨夜のnothingman。
県外のライブで一組目、これって凡百なバンドだったらば結構な確立で淘汰されかねない状況なわけだけれど、あっという間に開演間もない、あの独特の賑やかな空気を一変させたのは流石だった。フロア、完全にnothingmanの音楽に集中していたものなあ。出順や土地なんてものは本当に良い音楽、ライブの前には全く関係ないというのを証明してみせたnothingman、僕はもうただただレーベルメイトとして誇らしい思いで一杯だった。
そしてJONNY。
正直に腹の内を打ち明けると客席の様子はステージ上の演奏とは別次元に存在し、良い影響を与えあえども決してネガティヴな関係であってはならないと頭では理解していても、少なからずフロアの様子を伺ってネガティヴな影響を受ける事がJONNYではあった。
客席の顔色を伺う、ではないけどこちらの様子を伺っているフロアに対して、切り込んでいくわけでもなく懐柔、いや違うな巻き込んでいこうといい意識が無意識の内にあったのかもしれない。そういった考えを否定はしないし、それが正解な瞬間、ライブも恐らく存在はするのだろうけれども少なくとも自分には性に合わないと自覚した今、自分はフロア関係なく、誰に嫌われようとも無視されようとも少なくとも自分に恥じるような不甲斐ない演奏だけはすまい、と心に決めていた。
ライブに於いて一番の罪悪は酷い演奏をする事ではなく、気合いの足らない、気持ちの入らない演奏をする事だと再認識した故。
だから今日は最初から最後まで気迫だけでもいい、自分の音で、自分達の音楽で全てを圧倒する位の気持ちで望んだ。
で、ライブ終了後、気付いたら右腕は内出血して大きな痣が出来ているし左足の膝はどこかに打ちつけたのがじんわり痛む。体中ギシギシになって不具合が生じていた。
恐らくはフロアに降りた際に机や篠田君のギターにぶつけたのかもしれないし、お客さんに胴上げされて(そんな奇跡みたいな瞬間があったのだ)落下する際に打ちつけたのかもしれない。でもそれらの傷というのが、そしてそれに終演まで気付かなかった事が、自分が気持ちの上では自分に課した課題をクリアした事の証明のように思われた。
ライブというのは僕にとって闘争に他ならない。
野々垣メンバーを擁したJONNYとしては最後の関西遠征、現時点ではベストな領域に入る演奏が出来たのではないか、と考えている。
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