pedalboard2025.03.09である。
これは定期的に自分の中にやってくる「自分単独で音楽を成立させたい」という欲求に従った結果のペダルボードである。
自分由来の音楽を作って世に出したいという欲求は常に自分の中にある。
有難い事に17歳の頃からエレクトリック・ベースギターを弾くようになり、今日に至るまでバンド活動を継続して『人と演奏』いわば『人と共作』する機会には多く恵まれた(更に有難い事にはその共に演奏する人達が大変に素敵な音楽を作る人達ばかりだ)のだが、自分由来の純度100%の音楽を作品として残した事はただの一度もない。
バンド活動を始めた当初はそんな気は微塵もなかったのだけれども、何かを表現するという行為に魅せられてからは当然のようにそういった『自分の音楽を創る』という欲求を感じるようになったのであった。
しかして、手は動かすものの毎回「違うんだよなあ」という失望を感じては手が止まり「きっと今じゃないんだな」という瞬間的な諦念は積み重なって今や「自分を表現する音楽を創ってみたい」という欲求を「死ぬまでに成せれば良いや」という超長期的展望へと変容させてしまっている。
多くの素晴らしい音楽家や演奏家と一緒に演奏する機会を重ねているうちに、僕みたいなのでも嫌でも理解する。
世の中にはきっと『音楽を創る人間』と『そうでもない人間』がいて、僕は音楽を『演奏する人間』だとしても『創る人間』、中心になって『創る人間』としては選ばれていないんだろうなあという事を。
いささか悲観的な物言いになったけれども、これは悲観ではなく、僕にとっての適材適所はどこにあるかという話なのである。
産みの苦しみを味わう事がなく、作品に対してたった1人で矢面に立つ事がないが故に活動を常に健全な精神と頑健な肉体とで継続してくる事が出来たし、コミュニケーションツールとしてのエレクトリック・ベースギターはそんな僕の機能する役割だったり演奏の中での立ち位置的に大変似つかわしい楽器だと思うので、結局僕はそれなりの年月の間人様と音楽を演奏してきた結果、磨かれた自分の役割を今後もその欲求が続く限りは継続していくんだろうなと思っている。そしてそれが僕の表現なのではないだろうか、というのが今の私見。
前置きが長くなり過ぎたが、今回組んだのはそんな『殆どの演奏に於いてバンドアンサンブル中で力強い輪郭を作るような姿勢が有効に機能しがちな』僕が『自分の嗜好や憧れを自分単独で表現する』ために組んだものだ。
いわば、適性に対して抗うための道具である。これまで挫折しては繰り返してきた行為の、最新型とでもいえば良いだろうか。
信号はBOSS LS-2で2系統に分かれる。
EarthQuakerDevices Transmisser(アンビエントリバーブ)→BOSS DD-7(デジタルディレイ)に繋がり、ミキサーにアウトプットされるチャンネルがまず1系統。
プリアンプ→EarthQuakerDevices ToneJob(イコライザー)からアウトプットされるチャンネルが1系統の合計2系統。
このペダルボードはその2系統をミキサーでまとめて同時出力する事で『1人2役』が出来ないか挑戦するためのボードなのである。
Transmisserは音色も独特ながら残響が非常に長く広がる素晴らしいリバーブ。その音色を活かしてベースをッボーンと鳴らして残響が広がりながら続いている間に、LS-2でチャンネルを切り替えその残響の中でベースを弾こうと思いついたのであった。
ミキサーはNo Input Mixing Boardのために買い求めたものであるが、いやちゃんとミキサーとして使う事もあろうとは。
しかしこのボード、アイディアは良かったと思うのだけれどもデジタルディレイを後段でかけようと残響が思った以上に継続しなかったという点で難があった。
もう少し試行錯誤する必要がある。
バラしながら「そもそも『表現したい』が目的になっている『表現』というのは自分の嗜好として許せるのだろうか」と思ってしまったのだけれどもそれはまた別の話。
ペダルボードに罪はない。
風呂上がりの妻がボードを広げているところにやって来て「お、光ってるねぇ。この2つ光ってるのは?」とLS-2をカチカチ。
「光が切り替わるね。…あ、ラインを切り替えてるのか」。
理解力高過ぎるだろ、妻!