夜中の中央道を通って埼玉県のロックシティ(nothingman 宮下さん、頂きました)熊谷へ向かう。
中央道に乗った辺りで記憶がない。車内でコンビニで購入したパフェを食べてから満足して眠ってしまったみたいで覚醒するとそこは長野県の、畑と山ばかりか視界に入る中突然ローソンがあるようなそんな凄くグッとくるような場所を走っていた。JONNYはETCカードの深夜割引の関係で関東方面への遠征は大体演奏当日の午前2時とかに出発となる。時計を確認すると6時頃で、道理で運転席の佐藤さんと助手席の篠田君が乾いた笑いを浮かべながらシュールな事ばかり言い続けてるわけだ。あ、あの二人は普段から結構、そうか。
始めてからもうすぐ7年になるこのブログによると、前回JONNYで熊谷に行ったのは2009年5月13日。
その日の演奏がどうだったか、については恐らくツアー中であったしこれはもう確信を持って言えるのだけど移動中の車内で今でいうツイート感覚で書いたのだろう、簡素な文と10ドルステーキの画像しか掲載されていないのでわからない。けれども快心の出来ではなかったんじゃないだろうか、と今から3年と5ヶ月前の自分の文章の行間を読んで思う。
3年と5ヶ月。随分と間が空いてしまった。MORTAR RECORDの山さん(ここ数年は山さんが名古屋に来られた際にお会いする事の方が多かったけれども、熊谷を、そして音楽に情熱を注ぐ人を盛り上げようと御自身もまた情熱的に動かれる素敵な方だ)は実はJONNYを熊谷に、それも素敵なタイミングで呼ぼうとして下さっていたのだけど、これはもう完全にバンド側の理由、それも結果的に誠実だなんて口が裂けても言えないような形で応える事が出来なかった。
情熱には情熱で報いねばならない。
だからってわけじゃない、山さんがずっとそれを気にしてるとは思っていなかったしでもやっぱりこちらは忘れられず、久しぶりの熊谷だったし柴山社長(ONE BY ONE RECORDS)がレーベルの名を冠するイベント(書き遅れたけれども、昨日は熊谷でMORTAR RECORDとONE BY ONE RECORDの共同企画「BIG CIRCLE」が行われて名古屋からはレーベルメイトであるnothingman、この日がレコ発ツアー初日となるpalitextdestroyと我々の3バンドが参戦)で僕達を誘った意図も少しはわかっているつもりだったであるからこそ、この日の僕はやる気に満ちていたのだ。
あ、勿論イベント名もさ、絶対にあの愛すべきラーメン屋さんを含んだものだって思ったしね。
どうやら、楽器が、機材がその僕のやる気に負けたようだ。ベースアンプヘッドの不調らしく、音が小さくなって完全に途切れる事が演奏中に何度もあった。シールドケーブルを交換しても症状は改善されず。
畜生、こんな日に限って。とはいえ、その状況の中、最大限の演奏はしたと言えるし言いたい事も言った。JONNYから熊谷への宣戦布告、だなんて大それたものじゃあないけれど、3年と5ヶ月時間が空いてしまった熊谷という街とバンドがまた関係を始めるには30分という時間は十分なきっかけになったんじゃあないかな、と思う。
勿論JONNYというバンドのペースもあるけれども、個人的にはコンスタントに演奏しに、遊びに行きたい街だ。
色々考えてバンド活動をいうものを重ねるようになった今だからこそそう思うのかもしれない。そう考えるとこの数年という時間は僕個人には必要だったのかもしれないなあ。ま、結果論だけれども。
共演者との素敵な出会いもあったし、山さんお薦め、終演後に皆で食べに行った爆弾ハンバーグはライスお代わり自由との事で名古屋モドリの中央道分のエネルギーを十二分に補充させて頂いた。
人と人との繋がりだとか、そんな漠然と考えてきている事を改めて痛烈に考える事になった一日だった。
最後に重ねて、山さん、柴山さん、熊谷VJ-1、熊谷の皆様、本当に有難うございました。
そしてplitextdestroy、アルバムリリースおめでとう。
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