丘の上で待つ

この週末はともすると職場が繁忙期である平日よりもバタバタとしていた。
それも当然で、現在僕は引っ越しの真っただ中、土曜に新居に届いた家電を据え付けて、不足なものを買い足したり生活の基盤の基盤、基礎の基礎を築こうと躍起になっていたのであった。いやあ、滅茶苦茶楽しいものである。
若干ひいた風邪を引きずっているけれども(いい歳してだらしがない!)、そんな事も気にならないくらい大いに新生活に向けての準備を愉しんだ週末だった。

話は遡るけれども、金曜夜は友人であり有難くも慕ってくれている様子の若い役者氏より協力要請を受け、名古屋は栄、TV塔を臨む路上にて演奏してきた。この日より重ねてきたセッションが結実したというわけである。あ、こう書くと何度も何度も練習したように思えるかもしれないけれども、他の練習と時間が被って練習に合流出来たのは都合2回。先輩方も参加されていたというのに申し訳なさと「でも即興をやるならそれくらいの方が良いな」という思いとが半々の状態で本番を迎えた次第なのだが。
内容としてはその役者氏がある人間に対して抱いている感情を吐露する、という大変パーソナルなもので、一人芝居というよりかは独白に近いもの(であるように僕は受け取った)。ポピュラリティはテキスト段階でそこには存在していなかったけれども、彼はその時間に演奏を介在させる事で普遍性を持たせようとしていたのではないか、と何となく思っていた。一方、演奏陣の中にはぼんやりと「一線超えるくらいパーソナルを突き詰めた方が普遍性が滲むのでは」という思いもあったようで、その辺りの探り合いと「作品」としてその時間を残すための在り方みたいな部分の議論を重ねていった。何であればこういう意思統一ないしはディスカッションは異業種(この言い方違和感あるけどこの場合は致し方あるまい)の人間同士が何かを創ろうとする際に一番旨味が出てくる部分だと思うのでもっと念入りにやっておけば面白かったのかなあ、等と舟橋は漠然と後出しで思ったのであった。
さて定刻通り21時、気温は一桁の夜の名古屋にて始まった屋外演奏、僕の記憶が確かならこれが僕の人生で最初のストリート演奏という事になる。思う存分その環境との共存を愉しもうと始めたのだが、いかんよ、あれはいかんよ、滅茶苦茶寒いじゃん。そりゃあ気温一桁だもん、寒くないわけないよね。コートとか着て行ったんだけど、厚手のコートを着たままだと座奏していると腕に負担がやたらかかる、というか圧迫されていてしんどいのでコードを脱いだのね。シャツの上にセーター一枚。
最初は「あ、いけるいける」くらいの感じだったんだけど演奏中、ピック弾きから指弾きにシフトした際に弾こうとしたフレーズが頭の中よりも半拍遅れて「あ、指かじかんでる」ってそこでやっと気付いた。
面白いもんで手先が寒さでかじかんでいる事を知覚すると途端に寒くなってきた。けれどもままよ、この季節での屋外演奏の妙味の一つだ、これも。
見上げた瞬間に目の前に煌々と輝くTV塔が見えた。最高の演奏環境の一つだな、と思った。
結果的に彼が納得のいくアウトプットを出来たのかは(片付け等バタバタしていたし撤収も慌ただしかったので)わからない。けれどもどんな感慨を彼が抱いていようが、今回の心情の吐露はしておくべきだったんだろうな、と僕は思う。そして彼がそういう時に僕の助力を求めたのも嬉しかったし、かつて自分が「何はともあれやってみよう!」という精神が今よりもキツかった(今よりも激しかった、ではないし前のめりだった、でもない。キツかった)頃に先輩や友人に助けて貰ったその思いの循環にこれがなるんじゃないかなあという個人的な考えもあった。僕だってペーペーだけれども、少なくとも僕の力を必要とする若い人がいるようならば、気兼ねなく出張っていってバゴンと鳴らすっていうのが道楽者の強みじゃあないのだろうか。

2016_12_18_001
寒かったし難しかったけれども、面白かったー!

コメント