平和惚け

少し前に胸が痛みはじめ、それが一週間程も続いたもんだからついに病院へ行った。平日の病院、それも近所では一番大きな病院だったもんだからそれはそれは診察待ちの人で溢れかえっており、待合室で待つこと一時間、診察は数分という「なんともなあ」という事になった。
医者の提案によりCTを撮る事になり、その撮影待ちでさらに一時間、撮影後の診察待ちで一時間。

三時間かけて「医学的には健康そのもの」とお墨付きを貰い、僕の胸の痛みは「気にし過ぎ」が原因であると判断された。
僕が言いたいのは病院で都合三時間待たされた事ではない。安心を買うために、医学的に健康な肉体であるという認識を得るために、7500円と三時間を費やしたという事だ。
僕の平和な毎日はそういう費やされたものの上に成り立っているという事。
なんてことだ、一度気になりだすとそれを解消するのに相応のものを費やさないと安心さえ出来ない。

少し前に夜の海を見に行った。
ビールを飲みながら港をフラフラ歩いた。アベックばかりだね、と下卑た視線(当然、彼らの性行為を想像してニヤついていた、というニュアンスを含んでいる、これは)を、酒気を帯びた視線を絡みつかせながらフラフラ歩いた。
良い気分だった。
平和を実感した。

週末が立て込んでくると、その反動なのか平日の夜を如何に充実したものにしようかと悪戦苦闘する事になる。
仕事の休憩時間、食堂で大将が「具が少ないから」と安くしてくれた豚汁をおかずに炊き込み御飯を頬張りながら、さて今夜は何をしようと思索するのはそれこそもう、平和の極地だろう。
結局今夜は、特にこれといった事をしなかった。ビールを飲もうとして飲まず、睡眠時間だけが増えた。久しくしていなかった耳掃除をして沢山耳垢を除去し、いつもより少しだけ早くベッドに潜り込んでいる。
これを平和と言わずしてなんと言おうか!

今日は平和だった。
明日もきっと平和だろう。
明後日も、その次の日も、平和だろうと予想している。
平和になると、慌ただしい毎日が恋しくなる。
つくづく、欲しがりなんだなと思う。

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