『シャイニング』

続・我が逃走

毎年、冬になると必ず一度は観ている映画がある。

スタンリー・キューブリック監督作品『シャイニング』である。ネタバレを含むのでご注意を。

コロラド州のロッキー山上にあるオーバールック・ホテル。小説家志望のジャック・トランスは、雪深く冬期には閉鎖されるこのホテルへ、管理人としての職を求めて来た。

支配人のスチュアートは、「このホテルは以前の管理人であるチャールズ・グレイディが、孤独に心を蝕まれたあげく家族を斧で惨殺し、自分も自殺したといういわく付きの物件だ」と語るが、全く気にしないジャックは、妻のウェンディ、一人息子のダニーと共に住み込むことを決める。ダニーは不思議な能力「輝き(Shining)」を持つ少年であり、この場所で様々な超常現象を目撃する。

ホテル閉鎖の日、料理主任であるハロランはダニーとウェンディを伴って、ホテルの中を案内する。自身も「輝き」を持つハロランは、ダニーが自分と同じ力を持つことに気付き、「何かがこのホテルに存在する」と彼に語る。そして、猛吹雪により外界と隔離されたオーバールック・ホテルで、3人だけの生活が始まる。

ホラー小説の巨匠、スティーブン・キング原作の所謂「オバケ屋敷もの」をスティーブン・キングが映画化した作品。映画化、という表現は御幣があるかもしれない。というのはキューブリック監督、原作者が激怒する程に映画化に際して話を改変しているからだ。僕は映画→原作という順番で楽しんだのだけれども、原作を読み終えて「そりゃあキングも怒るわ」と思ったものだ(余談だが、キングは「キューブリックの映画版を今後必要以上にディスらない事」を条件に自らを監督として後年、TV映画『シャイニング』を監督)。

しかし「改悪」ではなく「改変」である。この映画、紛れもなく映画史上にその名を燦然と輝かせる傑作だからだ。

この映画はそう、まさしくホラー映画である。原作の有する家族ドラマ的な部分を一切排除し、徹底的に「怖い」映画としてキューブリックの美意識が炸裂している。ホラー映画とはいえども近年の「大きな音とワッと出てきて驚かせる」形式の怖さではない。ジリジリジリジリ、少しずつ不安になるようなそんな肌に粟立つような恐怖感なのだ。言葉を選ばなければ、神経に障るような演出。観ている人間を不安にさせるような音楽、そして安心感を「与えない」演技を披露する役者達。例えばこうだ。

ジャックが狂気に走ったのをウェンディが確信するシーンの事。夫が仕事場に篭って書き上げてきた“新作”が同じ文章の羅列であり、それを観てウェンディが愕然とするシーンだ。突然カメラがウェンディを背後から捉え、そこにジャックが入って来、背後からウェンディに声をかける。緊張状態にありながら背後から突然声をかけられたウェンディは大きな悲鳴をあげて振り返る。だだっ広いホテルに一瞬挙げた悲鳴が響く。

ここの演出、何の前触れもなく声がかけられ、ウェンディと同じ視点で観客を驚かせるのが常套句だろう。その方が「ホラー映画的」である。しかし背後からジャックが忍び寄っているのを事前に見せる事で不安感を煽る演出をキューブリックは選んだ。そしてその後の響く悲鳴。

ウェンディがヒステリーに陥っているのが強調され、そして妙に気に障る。あのシーンがあったからこそこの後の加速感が際立つと思うのだがどうだろうか。

他にも不安感を煽るような演出が盛り沢山で、そういう見地で考えれば非常に「洋モノ」っぽくないホラー映画である。この緊張感が持続する感じやジメリとした怖さは、むしろ和製ホラーに属性的には近いのかもしれない。

そして、世界最凶の笑顔を持つジャック・ニコルソン!

この映画ではこの人のテンションの高い演技(特に後半)が大いに堪能出来る。どう観ても「良いお父さん」っぽくは見えないけれども(キングもそこが嫌だったみたいだね)、後半の大暴れが観れるだけでも、良し。

グニャグニャ動く表情、どこか憎めないけれども基本的には「コワイ」顔、そして一気に沸点まで到達するテンション。「俺はこういう演技大好きですヨ!」と言わんばかりの氏の演技を観るだけでも楽しい。

寒い冬、閉塞感のあるこの映画で季節感を楽しむのも一興かもしれない。

ちなみに僕が観たのは119分版、シーンが追加された長尺版もあるそうでそちらも気になるな・・・・。

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