お盆休み終わって


b4e72b59二日間のお盆休みも終わってしまった。
二日間遊び倒せるという希有な機会だったが、当初の「時間や体力に目をつけずに遊び倒す」という目標は、体力や精神力の限界に阻まれたりして限界を超える境地には達せなかったけれども、それでも普段の生活を考えると目標は達成できたように思う。

さて最終日、睡眠不足のまま母方の祖父の墓参りに向かう。なかなか会えない祖母にも会え、喜んで貰えたようで孫冥利に尽きる。元気なようで何よりだった。当たり前かもしれないが、僕と話している時は矍鑠とした祖母なのだが母、つまり娘と話している時は母親の顔になっているのだ。恐らくは無自覚のこの変化に親子の絆の深さを感じずにはいられなかった。

六歳になる甥っ子がいるのだが、彼は恐らく僕を叔父だとは思っていない。だからこちらも友達感覚で話している。彼と話していると兄、僕、そして恐らくは父も児童の頃に有していた特性を彼にも見出す事ができ、舟橋家の血というか「やはりこれも遺伝なのだなあ」とこれまた当たり前の事に妙に感じ入ってしまう。今日の写真はそんな叔父としての自覚が希薄な僕と甥っ子。この後甥っ子が携帯カメラに興味を持ち、僕を被写体に遊びだした。言われるままにポーズをとったり暴れたりしていたら近くのロッテリアにいた女子高生に笑われていた。

夜は友人のんぐと神田君と映画「ダークナイト」を観に行った。
以下、ネタバレを含む感想。

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ヒース・レジャーのジョーカーは評判以上のクオリティだった。動機なき犯罪、動機が不明瞭な犯罪が横行する昨今において「世界が燃え落ちるのをただただ見たいだけ」という愉快犯ジョーカーの陰惨さは、とてつもないリアリティを伴っていた。左半分が焼けただれ、筋肉や歯、眼球が剥き出しになった顔で復讐を動機に犯罪を犯してしまうトゥーフェイスよりも、バットマンという存在と対になる自分に意義を見いだし、享楽的にテロ行為を重ねるピエロメイクのジョーカーの方がヴィランとして現実味を感じるというのも不思議な話で、それにはトゥーフェイスのCGで表現された顔も負う所があるだろうけれど、何より僕がいわゆる「現代の犯罪」に感性が毒されている証拠だろう。復讐で連続殺人という話は聞かないが、他者からは理解できない動機で人を刺す報道は週に一回は目にする。
テロリスト・ジョーカーはそういう悪意の象徴だろう。

ジョーカーが叩きつける選択。二隻のフェリー、一隻には犯罪を犯した囚人が、一隻には罪のない一般市民が乗っており、それぞれが相手の船に仕掛けられた爆弾の起爆装置を手にしている。相手を殺して自分が死ぬかという人間としての根本的な本能を、一般市民と囚人で実験してしまうというこの悪意はそのまま人間の尊厳、倫理観への挑戦だろう。

バットマンは両者を信じ、悪意の根本、ジョーカーを止めようとするわけだがこの映画の主題はこのシークエンスに象徴されるのではないか。フリークスとしての存在ながら、互いに対になる理念を持ち合わせた二者の戦いは劇中ではハービー・デント=トゥーフェイスの誕生をもってして引き分けになったまま終わりを迎える。バットマンは人間の実在は悪であり、痛手や私怨で人は悪意になり得るという事実を背中に背負って、「闇の騎士」としてゴッサム・シティを見守る選択をしたわけなのだが、ここも観る側に問いを投げかけるエピソードである。
我々は善なのか、悪なのか。正義を胸に生き、死ねるのか。

悪人すら殺さない、殺せないバットマンはこれからも信じながらも苦悩し続けるのではないだろうか。

それにしても惜しい俳優が逝ってしまった。ヒース・レジャーにオスカーを、という声を聞くが、栄誉を受けるには十分な、十分過ぎる演技を彼はした。ヒース・レジャーの演じたジョーカーはこれからも究極の悪意の象徴として記憶に残り続けるだろう。

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