さあさあ皆さーーーーん!観念と勢いだけで書いてみますよー!

色々あって気持ちがな内省的になりがち、だ。
今向かい合って話している人間の腹の内が見えてしまうからこそそいつが僕に本音で話しておらず、何かを隠している事がわかる。残念なのはそいつが何を隠しているのか、そしてそれをどうすればいいのかわからない事だ。
だから僕はそんな時、ただただ今まで通りに接する事にしている。この、目の前で僕を拒絶している人間は僕という人間との交流を自ら絶った勿体無い人なのだと感じつつ、話す。人と人が繋がるって事は偉大な奇跡だとかそんな事を言いたいわけではなく、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで孤独で唯一でしか在り得ない我々が少しでも心の交流を交わすというのは相互にとってメリットがあるはずなのだ。

具体例を提示しよう。貴方と僕、フナハシタカヒロはいつかどこかで会って話をしている。話の内容は「真の平和とは何か」という方向に転がり出した。多少酔っ払っている僕は調子よく「誰にとってもの平和等在り得ないし、各国間が常に適度の緊張状態にあれば少なくとも戦争は起きない」だとか「各国が手を取り合わないと戦えない強大な敵、例えばそれは外宇宙からやってきたエイリアンでもいいかもわからんね、そういう“もっと悪い奴”が現れれば劇場版のジャイアンのように情に深い国ばかりになるよ」等と貴方を呆れさせるような事を言った、とする。

貴方は「目の前のこの男の知性はこんなものか。この男はその程度の知性でこのような妄言を、至極真っ当だと思って振りかざしている。愚かな」とか「この男は明らかに酔っている。酔った勢いでこのように論理を振りかざすべきではないし、真摯に話し合うべき内容をこのように論じるのは不愉快だ。この男は不愉快極まる」等と僕に感想を抱くかもしれない。

だが、それでも僕と心を開いて話をするメリットはある。

自分にない相手の考え方を知る、というのは一番わかりやすいメリット。例え目の前の僕が愚か者でも、世の中の愚か者の意見の一例を目にしたと思えばまんざら悪い事ばかりでもないだろう。

次に、交友関係が広がるというメリット。

僕と話をした数ヵ月後、貴方は大掛かりなパーティーないしはコンパのようなものに出ているとする。貴方は友人と出席していたのだがその友人は他の友人と話しこんでいるか、それとも気分を悪くしているかとにかく席を外しており貴方は一人ぼっちだ。貴方は酷く居心地の悪い思いを強いられている。
そこでひょっとすると貴方の対面に座っている男性が山田くんかもしれないし、貴方の左隣に座っている人間がフナハシタカヒロの働いている楽器屋に行った事があるかもしれない。その僅かな接点でも我々は会話のオカズにする事ができるし、そうしている間に貴方の友人が戻って来ないとも言えないだろう。

以上二点(他にも諸々存在するのだろうけど、この場では割愛。慎み、という奴は美徳ではないにしろ、大事だとは思う)により、貴方は途方もなく下らないフナハシタカヒロと交流を持つ価値はある事がご理解頂けたのではないか、と思う。
だがね、本記事の本質的な意味はそんな事ではない。フナハシタカヒロが下らない人間であるという事ではないし、こんな事をつらつら書く僕が下らないというわけでもない。あまつさえ「人と人とは手を取り合っていくべきだ」等という事でもない。

結局、僕は僕を拒絶する人間が大嫌いだし、そんな奴は唾棄した上で嘲笑してやる。だけども僕自身心を開いて人と接するべきだし、何よりも僕を含めた皆、もっと楽に生きればいいんじゃないかって事なのだ。

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