娘の情操教育とサカエスプリング。

6月1日、この日はサカエスプリングに出演する鈴木実貴子ズの手伝いで演奏。
入り時間が遅めで、会場入りの前に練習を一時間するにしても夕方から家を出れば良い程だったのでそれまで家で家族とゆったり過ごすか、と思っていると朝方、妻から「今日はタキナオさんの個展に行こう」とお誘いが。
成程、確かにこのタイミングなら行ける、と早速準備して家を出る。かしやま君(あたらしいまち)にも声をかけてみるとたまたま予定がなかったそうなので一緒に出掛ける事になった。

改めて振り返るとタキナオさんの作品でじっくり拝見したものってそのほとんどがタキナオさんのライトドローだった事に気がつく。
何ならタキナオさんのライトドローイングと一緒に演奏した事がきっかけで始まったご縁なので「タキナオさん=ライトドローイング」という印象が強いけれども画家なんだもの、キャンバスに感性を投影しないはずがなかった。
で、何が凄いってやっぱりタキナオさんの作品ってタキナオさんそのもので。じっと作品を観ているとそれこそライトドローイングのように立体的に動いて感じられるし、同時にライトドローイングってキャンバスに描かれた瞬間の連続なんだな、とも感じた。
娘を抱っこしながらボーッと観ていると、何だか心のひだの中に染み渡ってくるようでサウナと水風呂を行き来した時のような感覚に陥った。滅茶苦茶良い。あの絵が部屋に一枚飾ってあるだけで毎日リラックスする時間が作れそうだ。
生憎と持ち合わせがなかったのだが(ポストカードを買うには買ったけれども、なんだろう、キャンバスに描かれたものと立体感が違うように感じてしまった。素人ながら)、タキナオさんの作品はいずれ絶対に拙宅に一枚飾りたい、と心に決めた日であった。

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8ヶ月の娘の情操教育について考える。
僕は自宅のリビングでゾンビを撃ち殺したり殴り殺したりするゲームを最近遊んでいるのだが、こういうゲームがリビングのTVで遊べるのも今のうちかもしれない、と最近思う。娘もそろそろ自分が目にしているものが何であるのか理解出来るようになってくるはずだからだ。
ゾンビゲームが教育上子供に与える影響について是非を問いたいわけではない。暴力的なゲームや映画、表現物が子供に与える影響なんてものを僕はここで言いたいのではなくて、娘には自分の趣味嗜好を自分で手元に手繰り寄せる権利があると考えているだけだ。幼い頃からゾンビものに慣れ親しんでみろ、そういうのが好きになってしまうかもしれない、自分が好もうと好まざると。ゾンビものを好きになるなら自分で行き着いて欲しい。それもきっと親のエゴではあるけれども、彼女には自分の「好き」を自分の手で自分の感性で構築して欲しいからこそ、僕は彼女の前でゾンビゲームで遊んだりしないようにしようと思っているし楽器演奏も無理にさせようとは思わない。何を好きになるか、見守りたいなあと思う。
そういう意味ではこの日のタキナオさんの作品展然り、僕の周りの友人知人にはとても刺激的な才人が多いので娘の情操教育には困る事はなさそうだ。一体誰から刺激を受けてどうなっていくのか、楽しみである。

夕方、鈴木実貴子ズの練習に一時間ばかし入りこの日のセットリストのおさらいをする。
先日も思ったばかりだがサーキットフェスは会場入りしてからあっという間だ。この日の会場は新栄TweeHall。CBCのすぐ近くにあるのだが恥ずかしながらこの日初めて足を踏み入れた。普段はパーティー等で使われているそうで、確かにバーカウンターにその片鱗は見られた。鈴木実貴子ズはこの会場のトリ。
この日の演奏は自分の中でも今後、突き詰めて考えていくべき課題が浮き彫りとなる演奏だった。つまり、結果的に収穫は多かった。

娘もそうだけれども、僕も感性をもっともっと磨かないといけない。

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