憂さ晴らしって言ったら随分と手前勝手ではあるのだが。


致命的というわけでもないのに仕事でしたミスが気になっている。
これはミスの大小の問題ではなく、気位の問題であると自覚はある。何であればもっと大きなミスを犯した事もあるけれども、それとこれとは話は別、今回の場合は「いや今更になってこんなミスするのかよ俺」というのがあって自分で自分を許せないのである。
勿論、それに加えて、負担をかけてしまった他人がそこにいるのは心が痛む。

何かしらをアウトプットしたくなり、飽きたわけではないけれども遠ざかっていたノー・インプット・ミキシング・ボードに久々に手を触れる。事前準備もなしに録音ボタンをオンにして、結線しながらその場その場でつまみを触ったりしつつの一発録りだ。
ガリガリと鉛筆でノートに絵を描きなぐる、そんな憂さ晴らしをを学生時代にしたかどうかは記憶にないけれども、今のように日記に何か書き残す事で(少なくとも気持ちの上では)前に進めるように一区切りつける。何かしらをアウトプットしたい、吐き出したいという欲求はそんな僕の憂さ晴らし、或いは更に今現在自分が抱いている感情に向き合うために冷静になるための行動なのかもしれない。