映画『秒速5センチメートル』


5cm
新海誠監督作品『秒速5センチメートル』という一時間程のアニメーション映画を観て取り返しがつかないくらい落ち込んだ。

2ちゃんねるの「アニメを観ていてキた瞬間をあげようぜ」(だったかな)スレで「秒速5センチメートルのタイトルが出た瞬間」とあったからどんなもんかと観てみたのだが、軽い気持ちで観るものではなかった。とかく何かしらの余韻が深く深く沈み込んできそうな精神状態の時には。
実に久しぶりに、エンドロールが流れる中微動だにできなかったのである。
以下、本作を観た雑感。ほとんど内容には触れていないけれども、結果的にネタバレしている可能性があります。

さて、人と人との繋がりは奇跡に等しくて、故意にしろ自然な流れにせよ交流が途絶えてしまったかつての恋人、友人達に対しては当然のように寂しさをおぼえるという事を繰り返してきた。今後その人間と自分の人生が二度と交差しないと確信してしまった瞬間こそが一番切ない。
かつては交わした心の交流、恋愛感情のやりとりが忘れられなくてその後もかつての関係に固執し、思い出したように連絡をとってみたりする。
対人関係に諦念を抱けないからこそ人間関係を維持しようと務めるのだ。しかしてまだ自分の人生の範囲内にいると思い込んでしまってないがしろとまでは言わずとも、今はまだ、と意欲的に交わろうとしていない人間に限ってどんどん手の届かない存在になってしまうという決着。新しい出会いの中に埋没していき、沢山の出会いや日々の生活によって目をそらす事が容易なそんな「別の人生を歩み出した他人」を意識させられてしまう。

一つの「運命めいた」出会いと交流に「呪われた」男を描いた本作を観て、ふとそんな事を考え、感じた。

せめて、フィクションの中くらいはハッピーエンド(数時間明けてあれはあれである種のハッピーエンドだったのでは、と受け取れるようになったものの、完全無欠なハッピーエンドは制作者の意図から完全に外れるだろうし本作を名作たらしめる要素がことごとく失われたにせよ、それでもやはり観たかった)を望んでもいいのだろうし、シークエンス毎に尋常ならざる瑞々しさ、生々しさを感じさせてくれるこの映画だからこそそういう結末を観たいと感じてしまったのだ運命論者でありながら、惜別したかつての「運命の相手」を青春の一ページに過ぎないと感じてしまっている僕のような人間は。

しかし、あの映画が瑞々しさを殊更に強調しているわけではない。恐らく自分達の人生もあのような潤い、生々しさを有していたのだ。あの映画はあくまでリアルにそれらを切り取ってほんの少しセンチメンタリスムを引き立てる舞台装置を織り交ぜて描いたに過ぎないのではないのか。

高校時代を思い返し、そうしてまた落ち込んだのである。
兎も角、美麗なアニメーション、秀逸な演技、そして観るものを引き込む3話構成で構築された本作が多くの人の心に残る理由が納得できた。特に第3話の美しさ、切なさは人を好きになった事のある人間にはたまらないものがあるだろう。
山崎まさよしの名曲も、物語とリンクして(挿入されるタイミングとその後の演出は、本作の真骨頂だろう)情感たっぷりに琴線を刺激する。

また一つ、忘れ難い作品に出会えた。

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