深夜の録音セッションと、一畳半の自部屋での習作の録音と。


薄暗いのは格好をつけているからではない。
照明を一つずつ落としては音を聴いて、を繰り返した結果、この状態が一番ノイズが少なかったであるが故に、である。

先日、深夜のベースレコーディングを行った。
プリプロダクションを経ての録音という事で、事前準備の時間こそ潤沢にあったのだがそれでもやはり、いざ録音となると難しい。どうにも想定通りにならない。バイオリズム故か環境の変化故か、進化なのか劣化なのか。いずれにしても、演奏行為の面白いところである。

ベースラインについては提案の余地こそ与えられてはいるものの、主に考案したのは各務君であり(最近のバンドアレンジが施された曲はほぼ100%そうである。作業効率とアサンブルの構築の上でも有益な役割分担だと思う。何より面白い)録音しながら「ここのニュアンスはこう」「あッそうきたか!」というのがプリプロダクションを経てもまだ、存在する。
録音を終えるまで5時間程かかったのだが(その後は各務君には膨大なベース録音のテイクのエディット作業が待っている。本当に申し訳ない)、プリプロダクションを踏まえていなかったらどうなっていたのかと思うとドキドキしてしまう。
時間をかける事はこの場合美徳ではないけれど、込めた精魂自体は作品に影響を及ぼすと信じたい。

それにしてもつくづく思うのが、エレクトリックベースギターは僕にとって表現の道具であると同時に人様と何かをする際のコミュニケーションツールでもあるのだな、という事。
あまり一人でベースギターを弾いて何か形を成す事に関心を抱いた試しがないし(素の音が跡形もないくらいエフェクトをかけた場合は別。だがこうなると最早それは入力信号のためのトリガーみたいなものだもんなあ)、楽器の音自体はとても美しいとは思うものの、主には人とアンサンブルをする事が楽しい楽器だな、という認識である事を自覚する。

その自覚を得たのも一人で録音してはその習作を公開して、という循環に足を踏み入れたからに他ならない。
一人でシコシコ音楽を作ろうとすると、どうしてもこういう方向の方が手を動かしていて、気負いがなくあれこれやれる実感がある。
自分の中では二輪で進んでいるな、という感覚である。