猫の目線になって

妻が腹痛で倒れた。職場に電話がかかってきて知らされたのであった。
急遽駆けつけて救急外来に付き添った。検査の結果腸炎との事。正体が分かれば病気に対する不安というのは幾分か解消される。薬も貰ったし妻も原因がわかって幾分かホッとしたようであった。
そんなバタバタした最中、土曜日は仕事で研修→白線の内側でライブ。吹上鑪ら場にて。

仕事の研修を終えてやる気と野心に沸々としながら吹上鑪ら場まで歩く。
リハーサルに参加出来なかった事は残念だったけれども、不安は微塵もない。何度もやった場所での演奏という事に加え、スタッフさんさえ大丈夫なのであればこちらは確認事項を全部確認して100パーセント安心する必要等ない、という思いがある。その時自然と起こる作用を演奏に抱き込みながら消化して昇華していきたい、という欲求だ。
こう弾くとこう楽器が鳴る、というのは何となくわかっているにしてもでは今日のセッティングではこういう音で出力される、とかエフェクターの反応はこうである、とかは緻密に作り込む必要を感じない時というのが結構あって、僕はそれを良い意味での余地と捉えている。予測不可能な事が突然起こった時こそ演奏家が演奏家としての矜持や能力を発揮する最も過激な極地の一つであり、性根の部分はその瞬間に顕在化するのだとそう思っている。
勿論ネガティブなエラーというのもあるので事故は起きないように準備しておく必要はある。けれどもメンバーとの間以前に自分自身の中で化学反応が起こり得る隙間は残しておいたって良い。

セットリストさえ、メンバー間で共有せずに本番に臨んだ。かしやま君の中ではきっとライブの流れがあって曲順も想定されたものがあったに違いないのだけれども、それを一曲終わる毎にでは次は、と提示されながら我々は演奏していくという進行の仕方は少なくとも白線の内側というバンドには合っているように思われた。目の前の事だけに注力する、瞬間を瞬間として意識する事がより明確に出来るようになったというか。僕自身非常に健全な気持ちで演奏に臨む事が出来た。先の事なんか考えないくらいの方が良かったりする事もあるもんだ。

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