習作

「彼女」に対する片思いは、彼女の日記に対して始まったと言って良い。

当時ぼくたち若者の間で流行っていたSNS。「m」で始まるアレといえばピンとくる人も少なくないだろう。
自分の好きなコミュニティに所属して同じ趣味の人間と出会ったり日記を公開して他人からのコメントを待ちわびたり逆に友人の日記にコメントをつけてやりとりをしたり、と自分のパーソナルスペース感はあったものの同時にそこがしっかりと開かれている、という今思えばよく出来たあのSNSに多くの人間が面白味を見出し、ぼくも御多分に漏れずそこに日記を書き、自分の趣味の世界で同好の士とのやりとりを楽しんだ。
毎日自分のページに訪れる「見知らぬ誰か」と「知ってる友人」のページを訪れてはダラダラと眺めたり気の利かない言葉の一つも残す。結構な時間をあのSNSに費やしたのだった。

そのSNSでぼくは彼女の日記に出会ったのだった。きっかけは憶えていない。彼女がぼくのページに訪れた履歴が残っていたのか、それとも友人の日記を閲覧している時にそこに残された彼女のコメントをたまたま目にしたのか。いずれにしたって些細なものだったと思う。
彼女はバンドをやっていて、共通の友人伝いに彼女のバンドの事を聞いていたぼくはすぐに「ああ、あの人だ」と名前くらいは浮かんだと思う。
ぼくは何の気なしに彼女のページを見に行った。彼女からすれば見知らぬ僕が自分のページを閲覧しに来た、という履歴こそ残るものの、どうせ見知らぬ者同士どんどんとその痕跡を残しあうのが常のSNSだ、ぼくも大勢の中にすぐに埋没するだろうと軽い気持ちで彼女の名前をクリックした。

そのSNSで見知らぬ人のページを閲覧するとぼくはまず日記から覗いてみる事にしている。
人の日記ほど面白いものはないし、何より日記は人そのものを表しているからだ。日記が思慮深い人間は思慮深い人間だし、気配りの行き届いた日記を書く人間は気配りの出来る人間で、面白い日記を書く人間は面白い人間である。
彼女の日記がどうだったかというと、決して美しい日本語は使われてはいなかったし文章も整えられた精緻なものではなかったものの、冗長ではないセンテンスと改行を巧みに、しかし恐らくは無意識に多用した独特のリズム感と宙に浮かんでいるような言葉を主に使った、それまでに見た事が、いや、読んだ事がないようなものだった。
素直に面白い、とぼくは思った。それだけではない、夢中になった。
彼女と直接コンタクトこそ取ろうとしなかったものの、ぼくが履歴を残すと律儀にぼくのページにも履歴を残す彼女の名前を辿って、ぼくは毎日のように彼女の日記を読みに行った。
彼女自身に興味があったのか、と問われると正直なところ微妙なところだった。その証拠にバンドを観に行こうとは思わなかったし、彼女の趣味の世界にもそこまで興味がなかった。ただただあの独特の日記をずっと読んでいたい。
それだけがぼくの願望だった。

彼女の日記には彼女の病気の事が書かれていた。
彼女は心の病を患っているようだった。日常生活にも支障をきたす程のものだったようで、時にそれに苦しんでいる様子も相変わらず宙に浮かんだような言葉で書かれていた。
ぼくの身近にも心の病を患っている友人が何人かいた。けれども彼らと彼女が決定的に違うのは、彼女は全く他人を意識せずにそれと闘っているところだった。他人の助力もはなからあてにしていないような、そんな気配が彼女独特の文章の行間から滲んでいた。今思い返すと彼女の日記には「つらい」という言葉が一言もなかったように思う。
病気なのだから、辛くて当たり前だし悩んで当たり前だし他人の助けを欲して当然だろう、だけれどもそれが一切ない。こう書くと孤高の人、という印象を持つだろうけれども、さも当たり前のように自分と自分の病気以外が眼中にないような日記を書く彼女からはそれさえも感じられなかった。
それでぼくはますます彼女の日記に興味を持った。毎晩のように宙に浮いた言葉を独特のタイミングで改行する彼女の日記を読み続けた。

そんな日記の書き手と読み手という関係が変化したのは、意外にも彼女からのアクションがあったからだった。
その夜もぼくはそのSNSにログインした。そのSNSは他人にメッセージを送る事が出来る。いつもは何て事ないやりとりを友人としていたのだが「メッセージが来ています」との通知にメッセージボックスを開いたぼくは信じられないものを目にする事になる。彼女がメッセージを送ってきたのだった。
共通の友人の存在を察した彼女はただただ無邪気にぼくにメッセージを送ってきたのだった。毎晩のように自分のページを訪れてくる見知らぬ男の存在に不信を抱く事も警戒する事もせずに、あの日記特有の文章をぼく宛に送ってきたのだった。
秘め事を見つけられたような照れ臭さとその何倍ものきまずさを感じながら返信を打つと、すぐにそれに対するリアクションが返ってきた。
こうしてぼくたちはオンライン上の友人になったのだった。

住んでいる場所も近くて共通の友人もおり、そしてやりとりを重ねてお互いに違和感がない関係が続けば「直接会ってみよう」となるのは不思議ではないはずだ。その提案にぼくはさしたる抵抗もなく賛同した。彼女と個人同士のやりとりを続ける事でぼくは彼女自身にも彼女の日記と同じくらいには興味を抱いていたから。
忘れないように書いておくと、彼女からメッセージが来て直接会う事になるまでそこまで時間はかかっていないはずだ。
だけれども不思議と下心や淡い期待はなかった。お互いになかった、と断言して良いだろう。彼女に対して女性に対する期待をその段階で抱くには、彼女の書く日記は浮世離れし過ぎていたから。単純に「あの日記を書いている人と会える」という期待だけはあった。
少し嘘をついたかもしれない。
下卑た期待はなかったにしても、高揚感はあったかもしれない。
彼女の日常が写真としてアップロードされている、非公開のパーソナルなWEBのURLを教えて貰い、ぼくはそこに投稿されていた彼女の写真を見ていた。率直に言ってしまえば、彼女の容姿は整っていた。そこに映っていた彼女はやはり、生活感なんてとてもなかったのだけれども。

直接会った彼女はとても楽しそうに話をした。共通の友人の話から始まり自分の学校生活、バンド活動や趣味の話、それこそ日記の文章そのままに宙に浮いているような言葉を使って話をした。
ぼく自身もそういう経験がないわけではない、という事を知っていたからか共通の体験を有する者同士の気さくさで、彼女は自分の自傷行為についてもそれまでと変わらぬ口調のまま楽しそうに話をした。思春期の頃、辛い環境に置かれた人間のうち何人かは「不幸自慢」を楽しそうにしたけれど、彼女のその楽しさは自分の好きな本や音楽や映画について語るそれと同じようで、彼女が自分の病気を日常のものとしている事が痛烈に伝わってきた。
会話の弾みから彼女が自分の傷だらけの太腿をぼくに見せる事になった。差し向かいで挟んだテーブルの下を覗くと、彼女がワンピースの裾をゆっくりと持ち上げるところだった。太腿にはしった何本もの傷跡は彼女の白い肌とコントラストを成しており、それがそこにあるという事実やその意味合いも超越したものを感じさせた。ぼくは素直にそれを「綺麗だな」と思った。

その夜、ぼくたちは終電を逃してしまった。
よくもまあ何時間も何時間も話し込めるものだ、と思うけれどもぼくたちには話す事が沢山あった。お互いの人生経験を宙に浮かばせて、それに向かって捉えどころがあったりなかったりする言葉を意図的にぶつける。相手の投げたそういう言葉、どうとでもとれるような言葉を探ってみたりそのまま曲解して話したり、そういうのが楽しい夜だったのだ。傍から見たら一周して気楽なペシミストを気取りたい若者達のおままごとに見えたかもしれないけれども、それはそれで相手次第ではとても楽しい事だった。
ぼくたちはタクシーに乗り込んだ。すでに歩こうにも話し疲れていたし、ゆっくりと休める場所が欲しかった。かといってやっぱり目の前にいるのは「女」ではなく浮世離れした「彼女」だもんだから、ぼくの下心は誠実さによって圧死させられており、この素敵な友人との行先はぼくの自宅となった。
実家住まいのぼくの家ならば迂闊な事をしようにも出来ないはずだ、と彼女が思ったのかそうでないのかは定かではないけれども、疲れた様子ながらも特に考える風でもなく「そうしよう」と彼女はタクシーの座席に身を沈めたのだった。

豆電球だけつけた電灯の下、ベッドと床に敷いた布団で横になりながらポツリポツリと話をした。互いに眠気にまみれながらの話だったので何を話したのか憶えてはいないけれども、日記を読む事で始まった彼女との関係、そしてこの夜の膨大な会話に決着をつけるようなものでもなく、本当にただただ眠りに落ちる間までのうろんなやりとりだったと思う。
朝方、帰宅する前に彼女と出会った母親は目を丸くして「まあ」と言った。突然息子が見知らぬ女の子を家に泊めたのだ、母親なりに精一杯の抗議だったのかもしれないと思ったけれども、彼女が帰宅した後の母親の「なに、あの凄い雰囲気ある娘さん。あんな人初めて見た。ミドリマコみたいな子だね」という言葉から察するにそうではなかったらしい。
ミドリマコ、が緑魔子である事をぼくが知ったのはインターネットで調べた後の事で、母親にそう思われていた旨を彼女に告げると悪い気はしていないようだった。

その後、幾つかのやりとりを経て結局ぼくは彼女に恋愛感情を抱いてしまう。
誠実さというていの良い言葉の下に隠していた高揚感の正体は結局自分にない浮世離れした彼女に対する憧れで、相応の時間を重ねるうちにそれが女性としての彼女に対する尊敬の念に切り替わっていったのだった。
けれども当時は煩悶もさせられた恋愛感情に対して、ぼくは微笑ましい気持ちで当時を思い出すのと同時に、幾許かの疑問も抱いている。果たしてあれは、あの感情は純粋な恋愛感情のそれだったのか、という疑問だ。
何故なら彼女に思いを告げて彼女らしい言葉で自分の恋愛が成就しない事を悟った瞬間でもぼくの気持ちは然程動揺する事はなかったし、その直後、いやその瞬間から彼女の良い友人という席に抵抗なく収まる事が出来た。その後彼女と交流を続けていく過程で生活環境の変化に伴って彼女が生活感を伴うようになると同時に彼女が受け入れていた心の病も少しだけ良い方向に向かっていき、反比例するように僕と彼女の交流も疎遠になっていった。かつては崇拝と言っても良い程だった彼女に対する感情も現実味を伴った友人に対するものへと変化していったのだった。
「あれは、本当に彼女に対する恋愛感情だったのか」という疑問に対してはあの瞬間だけを切り取るのならばイエスだし、今現在のぼくの視点から振り返るのであれば半分はノーだ。今のぼくからするとぼくは彼女の日記と彼女が無意識に醸し出していた浮世離れした気配から勝手に偶像を作り上げて、それに恋愛をしていたのではないか。

「彼女」の偶像の半分が彼女の実像そのものだったとしても、それに向けた僕の感情が純粋な恋愛感情だったと言えるのかどうか、今現在のぼくからするといささか自信がない、というのが正直なところだ。

そんな事を、未だに良い友人である彼女に対して思っているのだった。

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