読書。

性格上、斜に構えていけない。
これが僕の僕たる所以なのかもしれないけれども、どうも穿った見方やねめ回すような観点で世の中を見てしまう。

人にはこれが素の自分でないと思われがちだろうが、どっこい本当にこういう人間なのでさらに良くない。人と僕の本質の間に漠然とした障壁が立ちはだかるのである。そこに気がついているからこそ僕は僕で在るわけだし、極端な話だが世界をそういう視点で見上げる事を続けるのである。

何者かが一時は僕にそういう考え方を改めせしめた所で数ヵ月後には僕は僕になっているのだ。22年間このように生きてきたのだから、これはもう如何ともし難い現実と捉える他ないだろう。

一般常識で言う(僕の中ではこの場合そのまま【ポピュラリティ】という単語に置きかえれる)『素直で、誠実で、疑うことを知らない』、『つまり人格者』への変化は僕にとっては想像を絶する程難しいのに対し、『疑ってかかり、的中しては嘲って、自分自身をも誑かす』、『落伍者』のような生き方への変容は呼吸をするかの如く容易であった。

正直に告白しよう。
僕は日陰の存在、日向に入りきれずに日陰に安住せざるを得なかった、だけどもそれも潔しとできる存在に対して、この上ない憧れを感じる。
僕の情性という奴は数年前からずっとそんな具合だ。
一般的よりも異端派、マジョリティーよりマイノリティ、馴れ合いよりは孤高といったように人生で選択の瞬間がある度に、その都度日陰の存在であろうとしていた。

自己顕示欲と上昇意識がこの上なく強い日陰者。
それが僕の正体だ。

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