2011年を振り返って。

2011年の記録をようやくまとめ終わって、とっくに始まっている2012年の記録にとりかからんとするも「2011年を総括しないと次いけないだろう」と思い立ちキーボードを叩いている。

2011年は一個人としても、一バンドマンとしても、そしてこの国で生活する人間としても色々思ったり感じたり、或いは環境が変化したりと大きく動いた年だった。

所属、参加しているバンドはそれぞれ日夜活動を繰り広げ(不完全密室殺人は2回しかライブをやらなかったけれども、未だに僕の中でベースキャンプとして存在している)、ソロ活動もそれまでと比べて色々と動いた。

一生忘れられない11月13日のワンマンライブ、思い立ってから当日までは長いようで短いようで、つまり相応の時間を準備期間として使って完全なる状態で当日を迎えたけれども、2011年のバンド活動を総括するならばあの日のワンマンライブの事を振り返るのが一番手っ取り早い。尤もあの日っていうのは2011年を振り返るっていうか自分のバンドマンとしての活動歴を振り返る、って表現する方が適切な気がしないでもないけれども。

何度だって言う。あの日のあの光景は一生忘れられないし、一生バンドを続けていくにはあの夜の記憶は元手として十分過ぎる。

あの夜以降、自分自身を明確に『個』として認識出来るようになった(バンドって結局個々の演奏者の集合体なのだ。バンドに意志があるのではなく、バンドの構成員に意志があってバンドが動いていくわけなのだから当たり前なのかもしれないが)。○○の舟橋孝裕って表現にどうにもしっくりこなくて、勿論不完全~の日は「不完全~の舟橋」だしJONNYの日は「JONNYの舟橋」だしパイプカツトマミヰズの日は「パイプ~の舟橋」で、i GOでベースを弾く時は「サポートベースの舟橋」なのだろうけれども、では僕のパーソナリティはそれぞれ音楽に投影されているのかという事で、その問いに対する答えにはもう『個』としてそれぞれ一生懸命演奏するスタンスを以て応え、そして歴然と『個』として存在する事が僕自身は今一番しっくりくるのだと明確に意識してしまった。

それぞれ大切なバンド。僕はそのバンドでの活動を通じて僕という存在を打ち出していくのが一番良い。

一個人としても変化はあった。全てに於いて今現在は後悔はない。いつかするのかもしれないけれども、その「いつか」が来ないように僕は一生懸命やっていくしかないのだろうと思っている。

一個人として、バンドマンとして動き回るために元手が必要となり、深夜労働のアルバイトを始めた。1時間半ばかり閉店後のパチンコ店を清掃する仕事。1時間半はあっという間で、その作業内容の割に日給は良い。上司も良い人で、同僚も気に障る人間はおらず満足している。一つだけネックなのは遊ぶ時間が減った事なのだけれども、その分自分のスケジュール管理に良い意味で必死になるようになり密度の高い日々を過ごせている。

お酒が飲めるようになったのも今年で、下戸の頃にはわからなかったけれどもお酒が人と人のコミュニケーションに於いて果たす役割は決して侮れないという事も知った。

2011年3月は、この国で生きる人間として背筋が凍り、伸びる思いをした。

その前日までそんな事になるとは誰も想像しなかった中で起きたあの大地震。この国の人間として、否、一人の人間として自分に何が出来るか、どうすべきかどうあるべきか考えた。被災地に演奏しに行き、支援物資を置いてきた先輩がいたり、数か月にわたって被災地にボランティアに行った知人がいる。震災後すぐに仕事を辞めて給料ひと月分を丸々義捐金に充てた新婚の友人もいる。皆、それぞれの精一杯を以て震災に向き合った結果だろう。そんな中、僕はその頃の僕なりに精一杯やっただろうか?誠心誠意、被災地の方の事を考えただろうか?

物理的にはそんなに変化していない。結局、太りもしないし痩せもしなかったし見た目もそんなに変わっていない。大きな怪我も病気も有難い事になかった。友人は減った自覚はないが増えたつもりでいる。僕の2011年は、多くの人間に揉まれて高密度のものになったと思う。

2012年の抱負。「何事にも全力で」。今までも、そしてこれからも。

コメント