思い返せば思い返す程、自分が混乱していたなあと再認識する。する?

母の容体について。
13日夕方、職場に父から電話。曰く『先生から最終通告を貰ったから仕事が終わったら(実家に)寄ってくれ』。
声からも動揺しているのがわかる。
上司が異変を察知してすぐに帰宅するよう勧めてくれたが、そういった必要があるわけではなさそうなのできっちり定時までは仕事する事にする。
仕事している間に父から先生との録音データが送られてくる。気持ちも落ち着いたのか『無理に来なくて良いぞ』という旨も連絡を貰った。今後の展開が全くわからないので仕事に一区切りつけて職場の休憩室で録音を聞く事にした(職場の皆さん本当にありがとうございます)。
以前も日記に書いたけれども「良い事を1つ先に伝え」「その後悪い事を3周くらい繰り返す」先生なので、どんな内容であれども先生の話を聞くには多少なりとも覚悟がいる。「よいしょっと」という気持ちで聞く。
今回は「呼吸レベルが悪い」「これまでの経緯や前例から鑑みて意識レベルが戻る可能性も低いのではないか(けれどもゼロではない)」「次、自発呼吸のレベルが下がったら送管する事は延命に他ならない」「そうなった時のために覚悟をして欲しい」「またICUの部屋で現在治療を続けているが、そのような状況になった場合は緩和療養になってくるので部屋を移って欲しい」。
全く、何て事だ。何て事を言いやがるのだ。

娘を迎えに行き、妻と実家に駆け付けて病院に母を見舞いに。
意識が朦朧としている様子はあれども、説明された状況程切迫した様子にも思えない。むしろ顔色も良いんだけどなあ。
朦朧としていながらも妻が「お義母さん、また来ますね」と声をかけると母が手を振る仕草をした。何だよやっぱり意識あるじゃん。ますます先生からの説明と認識が乖離するんだよなあ。

実家に戻り、兄一家と父と何となくリビングで皆で集まって雑談する。
きっと、それぞれに不安を抱えているからそんな時こそ気持ちを強く持とうぜ、という時間だったのだあれはきっと。
皆で話した結果、「先生は最悪の事態を想定して悪い事ばかり言うから母を信じよう!」という事に。
この結論に気持ちを置くのは良い事のように思える。
母は、頑張っている。


インドラプトルのミニフィギュアを自室にお迎えした。
かっけぇ。

娘の寝かし付け後、先日組んで音出しチェックも済ませたボードを鈴木実貴子(鈴木実貴子ズ)さんに預けに行く。
母の病状の事は伝えてあったのだけれども、状況がまた深刻化した事だけ伝えておく。何かあった時にひょっとしたら迷惑をかけてしまうかもしれないので。
何事もないと良いのだが。今はいずれにしても全ての要件や予定に心の中で()をつけて感がてしまう/考えるようにしなければならない。