2014.12.03「今池午前二時 大丸メモリアルfeat.犬丸ラーメン」

12月3日。
今から2年前、名古屋は千種区今池にて一軒のラーメン屋がひっそりとその長い歴史を、静かに終えた。
今池の大通りが砂利道だった頃から50年。雨の日も風の日も台風が来ようが大晦日だろうが何だろうが、その店は一日も休まなかった(ガス漏れの危険がある、とガス会社から連絡があった日を除く)。
はじめは昼から営業していたそのお店は、たった一人で(一説によると昔はバイトの女性がいた時期もあったそうだが)お店を営業する大将の加齢に伴って、その営業時間を遅らせていった。ほら、疲れると作業とかって、遅くなるじゃない。
お昼が夕方になり、夕方が夜になり、夜が深夜になり、深夜が未明になった。もうこれ以上遅く出来ないぞ、という頃合いに店を構えるビル自体の取り壊し(その地域でも古い建物だったそうで、老朽化に伴った解体であったそうだ)によって、そのお店はその長い、静かで、しかし確かに多くの人に愛された歴史に幕を閉じたのであった。

大丸ラーメン。

大丸ラーメンがその歴史に幕を閉じてもう2年になる。
「もっと前のような気すらするなあ」だなんて思いながら、12月3日の僕は仕事終わりにマウンテンバイクに跨って今池HUCK FINNへ向かっていた。
リュックの中には薬缶に、一年に一度しか着る事はない、けれども衣裳ケースの中で大切に保管されているあの衣裳。
そう、去年のあの日から丁度一年、今年も犬丸ラーメンは「今池午前二時 大丸メモリアルfeat.犬丸ラーメン」として中華そば(550円)の提供を行ったのである。

20時15分より26時30分。
最後の方は記憶が定かではないけれど、つまり大体約6時間お店を営業した事になる。
去年よりも遥かに長い時間、という事は去年よりも沢山の方がご来場頂いたという事に(単純計算ならば)なる。
「一体どれだけ来られますかねー」「去年より減るかもね」みたいなやりとりも杞憂も実際こちら側にはあったのだけれども、大丸を懐かしむ多くのファンの気持ちって、全く衰えていないばかりかむしろその想いを強くしていたのだね…。

2014inumaru
階段の下から上に上がり、交差点近くまで時には二列になりながらも続く行列に胸を熱くしたのはきっと僕だけじゃないはずだ。行列の長さに食べるのを断念して帰られた(途中で雨も降ってきた)方も少なくなかったみたいで、感謝と申し訳なさで一杯です。聞いた話だと、5時間並んで下さった方もみえたそう。
本当に有難うございます…!

人をそこまで突き動かすのも、きっとその人の中の大丸での思い出があるからこそ。
今回痛感したのは、皆それぞれの記憶の中の大丸ラーメンと、あそこで過ごす大橋店長との時間を追体験しに犬丸ラーメンに来られるのだ、という事。僕より年上のお兄さんが「おじさんいいよ、もう年なんだから俺運ぶよ」ともやしの箱を運んで下さったり、食べ終わった後にお兄さん学生さんお姉さん達が「いつまでも続けてね」「美味しかったよ有難う」と声をかけて下さったり完全に大丸に通ったたでしょって方が「大将、今日味薄いね!」ときっといつもと同じように気さくに笑ったり。
きっと、皆の目線と記憶の先にはいつかの今池、深夜に大丸ラーメンで過ごした時間があったのだ。
それを最前列で見聞きし、体験出来た僕はひょっとしたら昨夜という時間を一番楽しませて貰ったのかもしれない。

胸が熱くなるような瞬間が何度もあった。
皆が期待して行列を作っている光景、そしてそれを僕に追い返されながらも嬉しそうに(きっと脳裏には閉店間際のあの夜があったに違いないのだ)散っていく様子。
ラーメンを食べる時に調味料をああでもないこうでもない、と友達と話す様子。
ふとした瞬間に皆が無言になり、ただ鍋の煮える音とじっと息を殺してラーメンが出来上がるのを待つ気配だけが色濃く空間を支配する、あの素敵で幸せな圧迫感。
解放的に楽しまれる飲み食いする音、舌鼓を打つ音。

どれもこれもが一年前と同じくらい、いや、一年前よりスケールアップしているようで、それを成し得たのは完全にご来店頂いた皆様の成したものだと、一晩経った今そう思っています。

また来年、夜の今池でお会いしましょう。

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