不安。

こんな言い方はするべきではないと思っている、いるのだがこれ以外適切な言葉が思い浮かばない。
日常が「変わってしまう」事がこんなにも静かに当たり前のように進行するだなんて思いもしなかった。

映画やドラマや小説、ゲームで僕は「世界の変容」については慣れ親しんでいたはずだ。それが瞬く間に進行していく事もフィクションをきっかけとした思索で納得は出来ていた。なんならもっと具体的にゾンビ映画とか観た後に「未知のゾンビウイルスとか、あっという間に広がって感染は防げないんだろうな」とかそんな風に思っちゃったりして、いた。

そんな風に考えていたはずなのに、この一連のコロナウイルスの騒動がいつ始まっていつここまで大きくなったのか記憶が定かでない。毎日を生きるのに必死でそちらに目がいかなかった?いや馬鹿な、ニュースは毎日のようにチェックしていた。なんだか大変な事になりそうだな、だなんて少し前には余裕ぶっこいて思っていたはずだ。

それが今はどうだ、この先が見えない感じ。滅茶苦茶不安じゃないか。
ぶっちゃけて書いてしまうと我が世帯は僕も妻も職業的にこのコロナショックとも言われる様々な角度からくる経済的打撃の影響を受け難い職業であるからして、超ド級に有難い事に収入が絶たれる事はないのだけれど、それでも毎日のように繰り返される不穏なニュースに何よりそれにまつわる多くの人の感情の起伏に、正直振り回されてしまっている。
経済的には今現在、まだ不安がない僕の世帯でこれだけナーバスになっているのだから自営業や飲食業の方々はきっと想像を絶する不安の中にいるであろう。

僕が一番心配なのは家族や周りの人の健康だ。
皆がきっと「面白い親戚のおじさん」的な親近感を抱いていたであろう志村けんさんに対しては僕も人並みの感情移入はあったし、その急過ぎる死は(いくら年齢が年齢だと言ってもその訃報は衝撃であった)いよいよ、この未知のウイルスに対して恐怖を抱くには十分過ぎる一報であった。我ながら感情的過ぎるリアクションだとは思う、それまでも亡くなっている方はいたというのに顔と名前に親しみがある有名人が亡くなった瞬間に「怖いな」と思ったのだ。

そして身近な人の健康を願った。
父は70歳、志村けんさんと同世代だし母も60を過ぎている、そして何より自分の周りのお世話になっている人は変な物言いだが全員自分より年上だし愛すべき娘はまだ幼いのだ。
喪失を嫌悪、恐怖している僕はようやく現実に気がついたのであった。「あ、これは非常事態だな」と。

こんな時こそポジティヴに、という気持ちはある。気持ちがあるだけまだましなのかもしれない。
まだ余力があるという事なのだから。

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