定期的に耽る思索

実際さ、僕が思うにライブとか練習とか友達とパーティーとかそういうのない日、手帳に何も予定が書き込んでなくて部屋に一人で篭って「あー何すっかなー」って思案したり、発作的に100円均一ショップにマウンテンバイクで行ってお菓子買い込んだりそれこそ最近ならお酒買ってみたり、それで糞益体もなく酔っ払ってみちゃったり、或いは薄暗い部屋で一人悶々としてみたり、そういう日に思った事こそこのブログに書き付けておくべきだって事くらいはわかっているのだ。

バンドマンがバンドをやるのは当たり前だし、バンドをやっていたらライブだってやる事もあるだろう。ひょっとしたら遠征に行ったりするかもしれないしバンドからお知らせする事もあるかもしれない。

バンドマンのブログなんていうものに、読み手が期待するのはそこなわけで、ひょっとしたら更新を楽しみにして下さってる方がいるかもしれないこのブログも、そういうスタンスで更新していけばいいのかもしれない。

しかして、しかしてだ。僕は自分がそれをやる事に物凄く違和感を感じる。

そういう「トピックがある日だけ記録しておく」っていうブログのスタンスを否定するつもりは毛頭ない。本来ならばブログってそういうものであるはずだし、でも僕はこのブログを、何の気なしに自分の日記として、数年後に読み返してニヤニヤするために書いている。ならば何も書く事がない、生活観に溢れた日記ってのもきっと数十年後の僕は必要とするはずなのだ。むしろそここそがライブを挙行した日や自分が演奏したCDの発売日の記録と同じ位、このブログの妙味となっている可能性さえある。

未来の僕がこのブログを読み返して「ああ、この日はライブをやったんだな。でもどんな日々の中でこのライブを楽しんだんだろう」とか思ってしまったり「世間ではこんな事が起きていた時、僕は何を思って生活していたのだろう」とか、そういうのが読み取れなければ、それはこのブログに何の価値もないっていう事だ。

このブログを書き出した頃の僕の文章というのは血気盛んな学生時代の衝動を持て余した、向かう先の見えない憤りと衝動に溢れている。酷く稚拙で「人に読まれ得る」という事を微塵も考えていない記述さえ見受けられるけれども、それさえも今の僕には、当時を比較的冷静に振り返れる僕からすれば愛おしい。あの自己顕示欲と振りかざした義憤に紛れさせた自分の自己実現欲求は今の僕にも相通じるものではあれど、やはり過去のそれは過去のそれ、当時の日記を読み返す事で僕は18歳~22歳頃までの自分を懐かしむ事が出来る。

今日の僕のこの文章を数十年後の僕が読み返して思う感想というのは、精神性という観点では恐らく今現在と然程変わらないだろう。

「ああ、こいつは何かブログというものに対して胸が熱くなっていやがる、この記録を書いた当時に流行った表現を使うならばエモクなっていやがる」と。

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