情熱と熱量を交えて狭い視野ながらに、等身大で“現代の音楽発信”について考える。

インターネットがここまで普及し、市民権を得、我々人類の生活に食い込んできた現在の状況で「音楽配信サイト」が大きな存在になってくるのは当然の事といえば当然の事である。

10年前にその状況を予見した音楽家もいたけれども、その話を聞いた当時では絵空事だった「データで音楽を享受する」状況がまさかここまでリアルになってくるとは思いもしなかった。

様々な発明、発展が少しずつ緩やかに変化を生じさせ、ここにきてそれらが一挙に結実した感がある。物凄く噛み砕いて言ってしまえばiPodの爆発的な普及(他メーカーのデジタルオーディオプレイヤーが霞む程だ)、それを後押しするようなiPhoneの普及、そして何より「音楽家、クリエイターの独立心」がそれを推進しているのではないか、とも思うのだ。

或る偉大なる先人とお話する機会を持ったのだけれども、その方というのは僕が無邪気に野山を駆け巡っていた頃から音楽で飯を食い、音楽で世界に飛び出した方で今尚第一線で斬新な表現をなさっている方なのだけれども(今まで数多くの先達、斬新な表現者、所謂"有名人”な人、様々な方と共演する機会を得たけれどもその方の存在は忘れ難い)、その方は僕に、僕達に実にゆっくりと丁寧に、そして誠実な眼差しで今の「音楽流通システム」が崩壊する様について話してくれたのだ。今の音楽流通のシステムの崩壊、それは必ず近い将来に起き得るし、もう始まっている、と。

音楽業界にぶら下がっている「発信者」以外の人間が余りに多過ぎる、という憤り。現場を知らず、数字で判断し、そしてシステムの中に組み込まれている故にそれだけでお金が入ってくる人間。そういう発信者、製作者にとって必要ない人間が享受する故にクリエイターにバックされるものが余りに少ない。そしてそれは理不尽だ。

そして発信者と受け手の間の壁(何の気なしに手に取られる一枚のCD、それが僕の手に届くまでの間には実に様々な手順をおって製作、生産、流通されているのだ)を取っ払う事で極論、「a○exアーティストと中学生」が表現者として同じ土俵で競い合う状況が生まれ得る。

その方がお話してくれた内容を噛み砕いて表現するとこんな感じになるのだけれども、所謂「D.I.Y」の精神に憧れを感じる僕はバンドが自活してやっていく、しかも世界を相手に発信する事が出来るその状況を想像するだに、興奮してしまったのであった。

どんどん「クリエイターの」「クリエイターによる」「クリエイターのための」音楽配信サイトが、そしてそのシステムが確立されてきているのを感じる。自活してやっていかねばならない、そうしていきたいと感じるアーティスト、バンド、レーベルはそれらを使ったり、極々限られた一部の話だけれどもそういったシステムを構築したりして「音楽」を「データ」で配信する事に意欲的なようである。

勿論あの第一線で活躍される音楽家のお話は間違いではないだろうし、そんな状況がいつになるかはわからないけれども来る、来得るというのは僕でも想像出来る。僕自身、自分達の表現をスムーズに発信出来るならばそれはそうしたいし、そうするべきだと思う。事実、僕の関わるバンドの幾つかはそういった方面で発信する事がメインになってくるだろう。具体的に動こうとも思っている。

けれども同時に、僕はほんの少しの後ろ暗さを感じてしまう。クリエイターが出来立ての作品を全世界に向けて発信し、それを待ち望んでいた人間達がそれを出来立てで受け取り、クリエイターは正当なる対価を受け取る。

それは本当に素晴らしい事だし、まがりなりにもお金を頂いてステージに立つ、お金を頂いて自分達の作品を売っている人間からすれば素晴らしい事なのだけれども、僕はクリエイターの作品を、受け手に届けるために、その事に全精力を傾けている人間達を知っている。その方々は素晴らしいバンドはいないか、面白い、まだ世に出ていない素晴らしいバンドはいないか、と「自らの感性」を研ぎ澄ませてライブハウスに足を運び、そして気難しい事この上ないバンドマンに話しかけ、信頼関係を確立する。或いは自分が自信を持って人に薦めれるバンド、そのバンドの音源を一人でも多くの人間に聴かせたいと東西南北、昼夜を問わずに駆け巡る人間もいる。自分が好きで好きでたまらない、そんなバンドを一リスナーとして人に薦めたいがために全精力を傾けて、情熱をガソリン替わりに意欲的に動く人間もいるのだ。彼らはシステムに胡坐をかくわけでもなく、情熱、そして行動力でいったら凡百のバンドマン以上で、そして何よりバンドマンを愛し、応援している。

僕はそんな人間、人間達を知っている。そしてCD一枚の重み、その製作に携わった人間がどれだけ労力を注ぎ込んだのか、どんな思いでその一枚を世に送り出したのかも想像してしまう。

前述の、僕に新しい音楽配信の形を教えてくれた音楽家がそういう人間の存在を知らないとも思わないし、CD一枚の「作品としての重み」、それをわかっていないとは決して思わない。その方にも、その方のそういう人間がいるだろうし、そういう人間の事は考えていると思うし作品に思い入れもあるだろう。その方が言った「クリエイター」の中には、チームとして或いはそういう人間も含まれるのかもしれないし、データ上でも作品としてこだわりを打ち出すプランがきっとあるのだろう。

けれども今後、音楽配信がある環境では確立された音楽発信の一手段として確立されようとも、僕はそういう人間がいる事を知らない人間、CD一枚の重みを知らない人間が本当の意味での「自力で発信」の重要性を知っている、そしてその意味を知っているとは決して思えない。この文章を十年後に読み返されて「時代錯誤だ」「先見の明がない」と笑われようとも構わない。

僕は音楽配信、データのやり取りとても作品の内外問わず、願わくばそれが手元に届く過程でさえ人肌の通った、血肉と温度の感じれるものでありたいと思っている。そうじゃなければクリエイターが発信する意味なんてないんじゃないかとも思っています。

コメント

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    今、一個人という括りでなく世界のあらゆる方面で『DIY精神』が浸透して来てますね。
    この不況だから特にという気もするけれど、原点回帰というか『自分にはどれくらいのことまで出来るのだろう?』という自己啓発の良い流れのように思います。

    舟橋君はまさにDIYな人間だと思うので、これからも自分磨きを頑張って下さい。 毎回新しいキミに会えるのを楽しみにしてますから☆

  2. 舟橋孝裕 より:

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    >ピコ・ピコリンさん
    確かに何かとDIYな感じでありますね。
    「ライブハウスでコツコツ頑張ってやってればどうにかなる」みたいな風潮は完全にバンドマンの中からなくなった気がします。や、そうでもないのか・・・。

    究極のDIY、となると楽器を作ってライブハウスじゃなくて自分でステージ組んでってなりますね。想像したら面白かったです。