舟橋なずな、爆誕!

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2018年9月29日16時51分、待望の第一子が誕生した。
体重は3468グラム、女の子である。名前は妻と相談して舟橋なずな、とした。春の七草で季節は違うけれども丈夫なナズナのように育って欲しいし、何より可愛らしい名前だ。妻が挙げてくれた候補の中で一番気に入ったのがこれだった。娘がお腹の中にいる間から仮名ではあったけれどもその名前で呼びかけるようにしており、家族も愛着を持っている様子だ。妻も僕も気に入っている。
なずなちゃん、これから宜しくお願いします。

前日から定期的に痛みがくるようになっていた妻。病院に連絡したものの痛みの間隔と前日の定期検診の様子から「もう少し自宅で様子を見ましょう」という事になり、痛みが酷くなった時に病院により近いし何より妻もリラックスするだろうという事で彼女を実家へ送っていった。
夕方になり痛みの間隔が狭くなるもどうやら痛みの程度も出産までの時間もまだまだのようだ。病院に行ったもののまだ自宅待機、という事になった。母子ともに健康で心配はないとの事。妻は定期的にくる腹部の痛みに気が張りつめていた様子だったけれども、僕は一安心。
翌日である29日は午前中にどうしても外せない仕事が一件入っていたので妻をそのまま実家へ残して僕は一人帰宅。
「陣痛が来たら連絡頂戴ね」だなんて話をしてから眠りに就いた。

明け方、6時過ぎに義母から着信。
夜中から痛みの間隔が狭くなり、また痛みも増してきたため病院に妻と来たところ入院となった、との事。前日の痛みは前駆陣痛
というものだったようで、電話越しに伝わってくる妻の様子も前日のものとは一変していた。
仕事をキッチリ納めてから駆け付ける、と伝えると痛みに耐えながらも「承知!」と妻が叫んだ。強い女性だ、とこの時思った。

ソワソワしながらも夕方以降に入っていた仕事関係の催しについて連絡を回す。僕は幹事の補佐的な立場であったため、伝達は必須である。やっぱり気持ち的に落ち着かないものの、慌ててもしょうがない、と仕事をテキパキと納めるよう気持ちを落ち着けて出勤。上司も僕を気遣って下さる様子がありつつも、流石に落ち着いている。二人の娘さんがみえるからだろう、「ここから先が長いけれども、業務をまとめたらすぐに駆け付けてあげなさい」と力強い言葉を下さった。

病院に到着したのが何だかんだで13時過ぎ。ナースステーションで教えられた病室に向かって歩いていくと痛みで動けなくなっている妻と支える義母に出会う。陣痛に耐える妻とここで初めて顔を合わせたのだけれども、明らかに前日と様子が違う。痛くてたまらない様子だ。「男性には耐えられない痛み」であるとか「下剤を飲んだうえでバットで腹をボコボコに殴られるようなもんだ」とか「スイカを口から入れるような痛み」とか、陣痛に関して色々聞いてきた様々なワードが頭の中を駆け巡る。妻はこれにもう何時間も耐えてきているのだ。とてつもない。僕はアワアワしながら腰のあたりを兎に角さする事しか出来なかった。
あまりにも痛みが続き、妻の体力が心配だという事で和痛分娩を行う事になった。麻酔を打たれた後から嘘のように痛みが引いたらしく、そこで初めて妻と冷静に会話する事が出来た。深夜から付き添って下さった義母も一度帰宅し、休憩。ここでバトンタッチである。妻は束の間の休息をとる事が出来た。一睡もしていないのだ、体力も相当消耗しているだろう。妻は程無くして陣痛室のベッドで眠りにおちた。僕はといえば売店で買ったおにぎりを食べながら「一番大変じゃないのは僕だな」だなんて妙に冷静に考えていた。仕事して、腰さすってお弁当食べて今、だもんな。僕がグーグー寝てた間から妻は痛みに耐えていたのだ。凄い女性だ。

先生が妻の様子を診に来られたタイミングで妻が目覚めた。少しすると痛みがぶり返してきた様子だ。楽な姿勢になろうと半身を起こすとそこで破水。目の前でパシャッ!と音がした。妻はガウンを着ていたので実際目の当たりにする事はなかったのだが、その音だけで破水したと悟るには十分な音だった。この瞬間に漠然と「いよいよだ」と思った事を憶えている。慌ててナースコールをして破水した旨を伝えると分娩室に移される事になった。
妻の様子を診た先生曰く「あと一時間半もしたら産まれるかもしれないので、親御さんに連絡してあげて下さい」。まじかよ、いよいよだ遂にだ、と一人焦る。妻は痛みに耐えてウンウン唸っている。もう麻酔を打たずにこのまま産んだ方が良いのでそうしましょうね、という先生の言葉に無言で、だけれども強く頷いた妻を見てグッと来てしまった。
何が出来るのかそれなりに考えていたつもりであった。かける言葉もその時になれば出てくるものだと、そう思っていた。
実際何も出来なかったし言葉も「がんばれ」とかありきたりな言葉しか出てこなかった。男というのは分娩室の中では無力極まりない、と聞いていたけれども成程、確かに無力だ。
けれども、立ち会う事が出来て本当に良かった。僕はあの時間を一生忘れる事はないと思う。生命がこの世に出てくる瞬間、そうだろうとは思っていたけれども想像していた何倍も感動した。言葉にならない感動というか、その感情はもう生命というものの力強さと尊さに対する敬意の念とごちゃ混ぜになった感情である。

「上手い、上手いですよー」
助産婦さんと先生が妻がいきむ度にそう言葉をかける。実際妻はいきむのが大変上手かったそうだ、それは先生が途中で「初めてですよね?」と真顔で冗談を言う程に。ちなみに笑ったのは僕だけだった。流石にツッコミはしなかった。
もうこの頃になると妻は「痛い」と言わなくなっていた。声を出さない方が良いですよと言われていたのもあるのだろうけれども、それよりも産む事に集中しているように見えた。ハンドルを両手でしっかりと握っていきむ妻の腕のあたりを掴んで、僕も妻と一緒に息を止めたり吸ったりしていた。「あと5秒長く息を止めて下さいねー次はねー」と言われ、おいおいそんなの倒れちゃうよ、と思いながらも妻と一緒に息を止める。ブッ倒れそうになったらやめよう、けれども何もせずにはいられない、せめてその感覚の片鱗でも味わえればと思っての事だったけれども、クラクラした。妻がいきむのと助産婦さんが引くのと同時だったと思う、血まみれの、けれども髪の毛のしっかり生えた赤ん坊の頭が見えた。と思うとすぐに全身が出てきた。血まみれで出てきてすぐは全身紫色だったけれども、不思議と陰惨な印象はない。生命そのものだ。可能性の塊が目の前に出てきた!

先生達が娘を囲んで処置をして下さった。すぐに泣き声が響き渡った。医療ドラマとかで観たシーンであるけれども、本当にあの瞬間、場の空気は緩む。和やかなお祝いの雰囲気に包まれる。妻は汗だくで、けれどもやり遂げた様子で分娩台の上でぐったりしている。目線はずっと娘の方に向けたままだ。
こんな稚拙な言葉の何十倍も感動した事をここに明記しておきたい。あの時間は僕の人生の中でも最も幸福な瞬間の一つであった。
妻よ、そして娘よ、本当に有難う。僕は幸せな夫、父親だ。力強い二人の女性に支えられている、と感じる。

さあさあ、人生ますます張り合いが出てきたぞ!!

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