表現欲求と新型コロナウイルスについて。

僕みたいにバンドで稽古を重ねて(重ねない場合もあるにはあるが)人前で演奏して、を繰り返す事で自己研鑽と表現欲求を満たす(または満たされない)行為を重ねてきた身としては今の状況というのは極端な話、夫として父として会社員として、の部分を除いた極々一個人としての生き甲斐の部分に大きく関わる由々しき自体である事は間違いがない。

一体新型コロナウイルスを原因とするこの非常事態がいつ収束するのか見当もつかないけれど(某大学の教授は「完全に収束するのには10年必要でその間に日本の経済や教育の在り方は大きく変わるだろう」とSNSで発言したそうな。勿論、文化や教養の在り方に関しても影響は少なくないだろうと思う)、少なくとも予定していたライブ公演はどんどん中止が重なり、けれど勿論それは誰が悪いというわけでもなく今の状況では当たり前の考えだと僕は思うし、ああ残念だなあ無念だなあと思うわけである。
これで生活をしている/しようと尽力している知人も少なくないわけで彼らの心中は察するに余りあるけれども、人の幸不幸は相対的なものではなく絶対的なものであるからして、では僕の欲求の行末はどうするのか、という話だ。

色々考えてはみたのだけれど、どうもアナログ志向いや違うな、単純な機械音痴だこれは、機械音痴な自分には動画を撮って演奏を録音してアップロードする、という行為と今の自分の間には結構な距離を感じるからしてまだそこに行き着こうというモチベーションは湧いてこず、必死にやろうとしないという事はつまり自分の性格上、そこに必要性を感じていないのだと思っている。
どうやらこの状況は今しばらく続きそうではあるからしてきっと僕のストレスが溜まってくるのも時間の問題なのだろうけれど、僕は今無理やりに何かを始めるという選択肢をとらない事を選ぶ事にした。それよりももっともっと欲求が高まった際に、追い詰められた自分がどのような手段に出るのか興味がある。果たしてその方法が音楽なのかそれとも他の何かなのかはわからないけれど、少なくとも今よりかは注力してその何かに向き合う事が出来るだろう。今はまだ自室で一人コツコツと楽器を弾いたり音作りについて試行錯誤している事で気が紛れているのだ。そういった行為でさえも僕の気を紛らわす事が出来なくなり、果たして自分は本当に何を張り合いに日々の自分と向き合うのかと自問自答した時にとる手段、方法。

それは不器用かもしれないし無様かもしれないが、今よりも夢中になって事にあたれるはずだしそういう経験が僕には必要そうである。

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