過去に僕と関わった人間へ

今生の別れを覚悟した人間なら、ごまんといる。

高校を卒業する頃から『一定期間の使い捨ての人間関係』という奴を意識していた。

『一定期間の使い捨ての人間関係』と表現すると物凄く聞こえは悪いけれども、その実恐らくはこのエントリーを読んでいる貴方もきっと同じような体験をしているのではないかと思う。

中学校の友達は中学校時代まで、高校時代の友達は高校時代まで、といったようにその時々で自分が所属する集団、組織、コミュニティ、その集団から自分が抜ける際、大抵の場合は交友関係は一新されてしまう。

中学校時代の友人は高校へ通うようになると、はじめこそは連絡をとっていたものの半年もすれば電話の一本さえしなくなった。

高校時代の友人、そしてクラスメートに居心地の良さを感じていたはずなのに、卒業後は同窓会等相応の機会がなければ会いに行こうとさえしない。

アルバイト先で出来た友人はアルバイトを辞めた後は遊ばなくなったし、名前さえおぼろげである。

僕はそうやって非永続的な人間関係ばかりを重ねてきたのである。

中学校の頃の『親友』は一生涯友達だと思っていたし、高校時代のクラスメートは最高の『チーム』だと思っていた。しかしその関係が継続する事はなかったのである。

よくよく考えればわかるはずだ。距離を置いても情熱を保つというのは、中学生や高校生には難しい。目まぐるしい日常生活に押し流されて、情熱の燃料を定期的にくべる事さえ忘れてしまう。

何も特別な事ではなく、恐らくは全国の少年少女が繰り返してき、そして繰り返していく事だ。

何て事はない、それらは意識するまでもなく、悲観的になるでもなく「そうなってしまいがち」な事だったのだ。

ノスタルジックな郷愁に駆られこそすれ、自分を冷血な人間だと謗る事までする必要はなかったのだ。

何であれば中学時代の友人は彼女が処女を喪失する(友人といったものの、それなりの感情があったからこそ物凄く複雑だった。しかも明言こそしなかったが彼女は中学校在籍時に経験を済ませていたはずで、僕が彼女の口から性交の経験を明言されたのは彼女が大学に通うようになってから、友人達が酔い潰れて眠ってしまっている横で息を殺しての性行為に及んだエピソードだった)程度に年齢を重ねるまで交流関係が続いていたし、高校時代の友人達、恐らくはこの文章に目を通す者もいるであろう友人達とは会う頻度に差こそ生じれども一部関係が継続している人間だっているのだ。

大学の友人も同じく。

僕って意外とノスタルジーとか過去の交友関係を大事にするタチで、連絡先を知らない過去の『親友』達に関しては未だにmixiやらSkypeやらインターネットで定期的に友人達の消息を追っていたりするのだ。堂々と直接連絡先を知っている友人に訊けばいいものを、それができない辺りどうしようもなく小心者で、そして不気味だ。

考えてもご覧なさい。

どこかのPCモニター、そこに写しだされた検索エンジンに貴方の名前が打ち込まれる所を。

そして検索結果をひとしきり眺めた後、軽く舌打をしてウィンドウを閉じる男の姿を。

不気味以外の何者でもないだろうに。

万に一つの可能性に賭けるけれども、もし何かの弾みで僕と過去に交流のあった方がここを見たらブログにコメントを下さるか、あるいはSkype(IDはtakahiro_funahashi)、twittermixiに連絡を下さい。

僕は舟橋孝裕。1984年生まれ、名古屋市立高見小学校、若水中学校を卒業、小学生の頃は水泳部、漫画研究会、中学時代は園芸部に保健委員長、そして甲子園で全国的に有名な高校で風紀委員長を一年半務めました。

もし、これを読んだ貴方が制服を着ていた頃の僕を知っていたなら、是非連絡を下さい。

なに、とって食おうってわけじゃあないんだよ。

こんな事をブログに書く男がどれだけ薄気味悪いか、そしてどれだけ嫌悪感を集めやすいか僕は理解しているつもりだ。でも僕ってば結構紳士だぜ。身なりも整えて会いに行くからさ。

だからさ

連絡よこせよ

コメント

  1. 舟橋孝裕 より:

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    途中まで真面目に書いてたけど後半は完全に『如何にインパクトと若干の恐怖感を与える終わり方をするか』に心を砕いてしまった。
    個人的には太宰の『斜陽』の主人公の手紙に勝るオチはないと思っている。

  2. Spring Perfume より:

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    わかるなぁ。同じような行動するよ。それが女ってだけで多少の嫌悪感は緩和されるのかな?変わん泣いよね。