鈴木実貴子ズ『現実みてうたえよばか』ベース録音の思い出。

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3月20日、鈴木実貴子ズのアルバム『現実みてうたえよばか』が発売となった。
有難い事に今作も関わる事が出来た、というか全曲ベースギターで参加している。当たり前かのように声をかけて貰ったもんだからさも当たり前のような顔して弾いたけれども、嬉しくて嬉しくて。
全国発売しているCDに自分の音が入っているっていう事ではなくて(そういう、いわば初期衝動的な喜びは勿論ゼロではない。これは例え何度経験したって嬉しいだろう)、自分の演奏を自分の音を信頼してそれを自分達の作品に介在させる事を潔しとする人がいるという事が、だ。
さてここについてあまり長々と書くとこの日記の湿度感が途端に上がってしまう。なのでその辺の心情的な部分は次の一言に集約しようと思う。
素晴らしい作品に参加する事が出来て、光栄だ。

さて、折角なのでまだ記憶があるうちに今回の収録曲についてベースギターを演奏した立場から備忘録を書こうと思う。
評価反省というのは向上し続ける上で必須の行為だと思うけれども、いつの日かこれを読み返しながらCDを聴く時のために出来るだけ細かく書こうと思う。
録音は2パターン、録音時期によって「四日市ドレミファといろはでのアンプ録り+素のライン録りをミックスしたもの」と「オーディオインターフェース経由、プラグインで音作りしたものをライン録り」に分けられる。使用楽器は全曲メインのYAMAHA SBV550改、あとは極々一部でBOSSのリバーブやファズを使用した。サンズアンプやエフェクターは今回ほぼほぼ使用せず、兎に角良い意味で素材の提供という立場で演奏をした。如何様にも調節出来るように最良の録音データを渡す事に注力した結果である。あ、でもPCでライン録りしたものについては録音を担当して貰った各務君と「やっぱりアンプっぽい方がグッとくるよね」だなんて言いながら結構ブリブリバキバキの音にした。アタックは出ている分には削る事は出来るので問題ないが、出ていないものを出す事は不自然極まりないのでこれについては結構迷わずに音作りした。
僕はピック弾きの方が指弾きより圧倒的に演奏力があるのでほぼほぼピック弾きで、暖かい音を出したい際は「指弾きの音が出ますよ」と謳われているピックを使った。これ、面白いんだよね。普通のピックがゴムっぽい素材で挟まれてるの。確かに、それっぽい音が出る。
こうして振り返っても割とシンプルな環境でレコーディングしたな、と思う。ミックスに関してはもう完全にお任せした結果、曲毎に最適な風合いに落ち着けて頂いたと思っている。特に注文つけたりとか、そういうのはおこがましくてしていない。

1.『音楽やめたい』
いきなり申し訳ないのだがこの曲、ドレミファといろはでマイク+ラインで録音したのかライン録音オンリーだったのかいまいち記憶があやふやである。
ベースラインについてはこれはもう全曲ほぼほぼそうなんだけれども鈴木実貴子ズのお二人と相談しながら作った。一度目のサビ直後のハイポジションでのベースラインは元ベーシストの高橋君が口で歌ったベースラインをコピーした。
人様の提案は積極的に聞くようにしている。それが採用されて、録音やライブで何度も弾き込んでいるうちに自分のものになるからだ。

2.『アホはくりかえす』
これは多分、ライン録りのみだったはず。
前半はほぼほぼベースは白玉で、この一音に託して伸ばす感じは鈴木実貴子ズのお二人とディスカッションして完成した記憶がある。最初に曲を聴いた時は何とはなしに「全編勢いを出す感じでダダダダッと弾こうかな」と思った記憶があるのでこの一音に委ねるスタイルは新鮮だった。結果的に曲の緩急に貢献出来て素晴らしいベースラインだと思う。

3.『あきらめていこうぜ』
ライン録り。
最初はもうちょっと色々やろうと思ったのだけれども最終的には最もシンプルな方向にまとまった。
ちなみに曲のバンドアレンジは練習スタジオで皆であーでもないこーでもない、とやる場合と曲(この場合の曲というのは実貴子さんと高橋君の二人が演奏しているもの)をインターネットを使って共有して、各務君と僕がそれに自分達の演奏を重ねて再びデータ送信し、それを元に皆で練る場合と二種類ある。後者の場合、各務君がリードギターを重ねてきてから、つまりベースのパート以外が全部出来上がった後に後出しじゃんけん的にベースラインを考える事も少なくない。「ここはギターが細かく刻んでるからベースは敢えて大きく」とかそういう贅沢な考え方が出来るようになった。ビートルズでポール・マッカートニーがそうやってベースラインつけたりしていたそうですね、あんな風には弾けないけれど。

4.『見たことない花』
ライン録り。
これは二人の録音データが送られてきたのでそこにベースを重ねて送り返して、を経て完成したアレンジ。
途中でコード弾きをしているところがあって曲中でも「あ、和音弾いてる」って割とわかりやすんだけれど、ここ、ボリューム奏法にするか和音にするかでディスカッションになった事を憶えている。結果的に和音で大正解だと思う。

5.『アンダーグラウンドでまってる』
ライン録り。後半の盛り上がるところは歪ませた記憶がある。
これはライブで何度か演奏して自然と出来上がったアレンジだったのでもうそのまま、ライブを意識するとかそういうわけではなかったけれどもいつも通り弾いた。
振り返って聴くと曲の途中からベースが合流するイメージで演奏に加わっていっていて、この頃というのは二人の鈴木実貴子ズの曲にベースを「添える」みたいな気持ちが今よりあったんだなあと気付く。ここ最近はもうバンド編成で曲を構築する、みたいな気持ちがある。これはこれで良いな、と思った。自画自賛ですまんね。

6.『新宿駅』
ドレミファといろはでライン録りとマイク録り。
ベースラインを考える段階でザックリとしたギターアレンジがのった音源が手元にあり、それを聴きながらベースパートを考えたもんだからギターが細かく刻んでいるところは大きく捉える、みたいなそういう発想で演奏内容を考えていった記憶がある。
恥ずかしながら音楽理論はほぼほぼ知らないに等しいのだが、感性で作った割にはこの曲のベースは自分が考案した曲のものとは少し違った感じがあって、ライブでの演奏経験はまだないがいざするとなったらきっと耳コピして臨まなければならないだろう。
こういう経験も面白いものだよ。

7.『平成が終わる』
ライン録り。
この曲、難しいんだ。ライブで演奏する時も緊張感あるもの。難しい内容を弾いているとかそういうのではないが、雰囲気を出すのが難しいなって未だに思う。こういう曲は空ピッキングを入れてリズムを波で捉えて弾いた方が絶対的にリズムが安定するのは明らかなのだけれど、どうしても気持ち的に点で合わせにいってしまう。狙ったところで、ガッと弾く。
その方が凄味が出るんじゃないかという妄信に囚われて、はや何年になるだろう。演奏行動が自己表現であるならば、こういう妄想や執念は演奏に顕在化して然りなんじゃないのだろうか。

8.『ばいばい』
ドレミファといろはでのライン録りとマイク録り。
これもスタジオでせーのでアレンジをした記憶。あ、いや、違ったかな。何にしても演奏しながら自分の中のファッキン・オルタナティブなバンドからの影響を意識せざるを得ない。疾走感のあるルート弾きって本当に気持ち良くてエレクトリック・ベースギターという楽器で成せる演奏の一つの究極系だと思う。これくらいのテンポ感、こういう曲ならこうであって欲しい、みたいな演奏が出来た気がする。

こうして書いてみると、自分の演奏に如何に知性がないかわかる。あ、饒舌でないだけか。

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