闘病記

ここ数日間ブログをかけなかったのは、ここ最近何かと話題になっている流行病の所為だ。元来体の強くないところに加えて、恐らくは大阪東京と目まぐるしく移動、演奏したのが仇となった。どこでひろったのかは定かではないけれども、ツアーに携わった人員の中で発症したのが僕だけで本当に良かった。しかしてこれは逆説的に自分の体の弱さが露呈してしまったようでどうにも気恥かしい。

病床に伏せっていた間にどう過ごしていたかといえばうんうん熱にうなされる事と、読書を数冊、それ以外は食べては眠っての繰り返しであった。体調が幾許か回復してきた時分には少し気も大きくなって油っぽいものを口にしたりもしたけれど、ここ数日間で何を専ら口にしたかと言われれば梨、である。瑞々しい梨は口に入れるのに抵抗がなく、食欲も普段のそれはどこへ行ったのかほとんど失せていたので梨半個で随分と満腹になった。

一番高熱を出していた際に病院へ行き検査を受けようと起き上がりはしたものの、フラフラでまっすぐ歩けぬし第一立てぬ。高熱も度が過ぎると平衡感覚に影響を及ぼすのだと知った。何に苦しめられたかといえば深夜、高熱故に眠りが浅くなる事であった。眠っているのか眠っていないのか、時計を確認してもほとんど時間が進まない。熱にうなされた頭を休ませようと目を閉じても脳が熱くて眠れやしないのだ。両親は眠っており一人でまんじりともせずに朝が来るのを待つ他ない。以降反省して氷枕やそれに類するもので対処する事を憶えた。

医学の進歩というものは凄いもので、処方された薬を飲んでからはあっという間に回復に向かった。熱が下がったと思いきや上がったり、というのは繰り返したけれども脳が熱くて眠れなくなるような事はなかったし、第一最高時と比較してもそれらの発熱は可愛いものであった。巷で騒がれていた薬による異常行動も見受けられず、僕の体は健康体へと向かっていったのである。

僕が患っている病の性格上、世間との交流を断っていた頃周囲の友人の動揺たるや凄まじいものだっただろう。それはそうである。一緒に大阪、東京と巡った人間が流行病を発症したのだ。同じウイルスに自らが感染しているのは火を見るより明らかであり、苦しんでいる僕の症状はともすれば有り得る未来の自分である。そして大きなイベント事を控えているだけに体調管理を徹底せねばなるまい、と話した直後の舟橋発症。今だからこそこうして書けるが(日本全土に蔓延しているからこそ書ける。非常に限定的な事柄であればウイルスの保有者たる僕はお尋ね者状態であって然るわけであって、そうなったらおちおちこのように記述もできない)、発症した当の僕も先の事を考えるとどうなるのだろうか、と気が気ではなかった。

まさか自分が世間を賑わせている最新型の流行病になるとは。一体どうなってしまうのだ。

そこまで思いつめた僕が今こうして無事に社会復帰できるのも、そして無事にザ・フロイトとのツーマンを迎えられるのも、そして体内のウイルスが完全に死滅した(発熱がおさまり48時間が目安だそうだ)のも家族の看護と現代医療、そして周りの気遣いあってこそである。そして本当に何よりだったのが自分のまわりで僕経由での発症者が出なかった事だ。今のところそういう報告は聞いていないので現状、安心はしている(今後出てきたらひたすらに申し訳ない気持ちで頭を下げる他あるまい)。

嗚呼、腹が減った。

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