10年後の舟橋孝裕へ

これを読んでいるという事はこのブログを書き始めた当初の「10年後に自分自身で読み返してニヤニヤする」という目的が達成されているわけで、という事はこれを読んでいる君は、あ年上だからちょっと丁寧に呼びかけた方が良いのかな、まあいいか、10年後の舟橋孝裕、貴方はこれを2023年9月26日ないしは27日に読んでいるはずである。
そちらはどうですか?元気にやっていますか?そもそも、どこでこれを読んでいるのだろう。貴方の隣には誰かいるのだろうか。
「ほら、これ10年前の僕が書いたんだよ」だなんて言いながら、隣にいる恐らくは(強がりです、いるといいな。いるよね?ね?)君が「うちのカミさん」とでも呼んでいるであろう人と笑い飛ばしながらこれを読んでくれたら僕はこんなに嬉しい事はありません。
10年後の僕よ、君は当然このエントリー以外も読み返しているであろうから、そして何より君は僕自身だから当然気付いていると思うけど、僕のブログ、ここ最近、何だかちょっと違うよね。
つまらない、とか嘘ばっかりってわけではないけれど、何だか読み手っていうのかな、本来なら君だけを意識して書き始めたこのブログを僕の友達や僕に興味を抱いてくれている人が読んでくれるってのをさ、実感しちゃって書ける事っていうのをその大半は無意識に、ほんの少しは意識的に選んで書いてる気がしないかい。
それが悪い事だとは今の僕は思わないんだよ、曲がりなりにも人前で何かをやって人に何かを突き付ける、わかりやすく言えば僕ってバンドマンじゃん(君は今の僕が望んでいるようなバンドマンになっているであろうか。なってろよ)、そういう人って自分で思っていないところで人に影響を与え得るっていうのはわかっているつもりだ。だって人は相互作用で影響を与えあうでしょう、だったら人様からお金を頂戴して何かをやるに足りている僕はそういうのを意識すべき、とも思うんだよね。

でもさ、同時にそれってこのブログを書き始めた本質からはどんどん外れていく事でもあるわけだよね。いくら記憶力が悪い君でも出発地点くらいは憶えているかと思うんだけどさ、大学生の頃に書き始めたこのブログ、最初は読み手なんて意識してなかったもの。数年前まで全然意識せずにさ、好き勝手書いてたんじゃあないのかな。
文体や書く内容の変遷、それさえも僕の記録であるからしてこの変化ってとってもドキュメンタリーではあると思うんだけどさ、じゃあ2013年9月26日(わかっちゃいると思うけど29歳の僕ってまだ昼夜逆転してるから日付的には27日ね)にこう思った、っていうのも立派にドキュメンタリー足り得ると思う。
話がそれ気味であるからして結論付けて方向修正するけれども、これからはちょっと好き勝手書いてみようかな、だなんて思うんだよ。思うにこのブログがそういう方向性に向かってきたのはここ数年の「ブログが僕の全て、名刺代わり!」みたいな思い入れだったんだよね。見知らぬ人にはじめまして、って挨拶するのがここだったわけでここが僕の拠点だったからね。

でも僕はここ最近HPを作ったんだよ。君がこれを読んでいる今も形を変えているにしても同じような役割のものはあって欲しいなって思うんだけどさ、僕はそれをここ最近始めた。
だからそこに所謂外向けの僕をまとめて僕を投影して、ここは確かにそのHPからもリンクは貼ってあると思うんだけど、もっと人間的に好き勝手書いてしまおうと思うんだよね。落ち込んでる、とか葛藤とかそういうの、ほら、これも忘れていて欲しくないんだけど友達のとても可愛い女子高生が亡くなったじゃないか、それ以降幸いな事に浮き沈みがちらほら生まれてね、多分ここ数年で一番僕、人間らしいわけだよ。いや、君がどうなっているかはわからない。細胞は日々死んで再生して、きっと10年もすれば同じものって僕の意思くらいなものだろうからね、肉体的には全く別個の個体と言えるのかもしれない。ひょっとしたら肉体の変化に伴ってそういう部分も変わっているかもしれないね。変わる事を楽しみたい、と思って生きていくだろうから変わっている方が自然かもしれない。

10年後の君が今現在、2013年の僕の記録をこうして読み返して「何て馬鹿なんだ」と思わないと良いなと思うのだけど、僕は今、気持ち的な浮き沈みって奴が満更害悪でもないと思えているのですよ。

もう始まっちゃってるけど軌道修正して、何をしようかって思ったらわかりやすい近況報告ね、きっと忘れたり記憶が薄れてるかと思うから。
箇条書き気味になるかもしれないけれどどうかご容赦を。

まず、前述したように浮き沈みを愛してる。
人を殴る際は拳を引くわけだし、飛び上がる前には体を落とす。その後のアクションを想定出来ていれば、少なくともそのイメージさえあれば落ち込む事も悪くないのかな、むしろもっと人間らしく力強くダイナミックに人生を謳歌するためにはそういうのも必要なんだろうなって思ってるよ。

転職してさ、恐らくは君は今頃正社員になってるだろうけれども、その仕事を始めたばかりで精神的にも将来のヴィジョンが見えていよいよ安定してきているよ。矛盾してるかな。兎に角、精神活動っていう意味以外での浮き沈みはなくなった。将来への不安とかそういうものから解き放たれて、僕は充実した健全な状態を保っている。
でも不思議なもんでね、今日実感したばかりなんだけれどもきりがないね、僕の欲しがりっぷりったら。
望んでいた状態を手にしたら、今度は自意識の部分で葛藤してる。
人前で音楽を演奏したり何かを表現したりする人間としての葛藤っていうか、自意識が、自己顕示欲が満たされない状態っていうのが続いているよ。もっともっともっともっと、人に面白がられたい。僕はね、10年後の君はどう思っているかはわからないけれども、僕はまだまだ僕の面白さをもっと人に突き付けないといけないと思ってる。
まだまだ正当な評価を得ていないとさえ感じているのだよ。
評価を気にして何かを作るっていうのはナンセンスかもしれないけれども、でもそういう観点で突き詰めて考えると僕にとってはまだ自己表現=自己顕示欲なのだな。表現自体の楽しさっていう点だけにフォーカスして表現っていう行為を楽しむ事が出来ない。部屋で一人で良いものを作って「ああ、何て素敵なんだろう」って楽しむ事がまだ出来ないんだ。でも僕はまだまだ諦めないつもりだ。もっと面白い事が出来ると思っているし、僕の強靭さっていうのはこれから発揮されるだろうと盲信している。

でも皮肉な事にねえ、自己顕示欲が満たされない(これは周りが僕を評価していないのか、それとも僕の欲求が増大しただけなのかはわからないけれどね)この頃だけれども、そんな中僕のベースギターの演奏技術、表現力っていうのは可能性の片鱗を感じさせてくれるには十分な実感を僕に与えている。変なもんだね、バンドマンとして、ベースギター奏者として、僕は今凄く充実した段階を踏んでいると思っている。
ところで君はまだ、サンズアンプを使っているかい?もし何か変化があって君の演奏にサンズアンプが介在していなかったら、生産が中止になって(ま、それはないと信じてる)価格が高騰していたとしても是非何とかして手に入れてまた使って御覧なさい。10年前の自分を信じろ。

あんまり長く書いてもあれだから今日は兎に角この辺で。
これからは10年後の君に親切なように思いっきり、兎に角思いっきり書いてやるつもりだ。

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