ある日、友人からとんでもない連絡が来た。
連絡、というか画像だったのだが。それを見た瞬間僕はその目を疑った。
大丸ラーメン、というお店の存在はご存知の方も多いだろう。
もし貴方がこのブログを以前から読んで下さっている世にも物好きな方だったら、或いは大丸ラーメン閉店に際して思い入れたっぷりにその日を迎えた僕の様子を、また喪失を受け入れる事が出来ずにコピーバンドとして活動する事でその喪失感を埋めようと躍起になっている姿を、そして多くの人間とその情熱を共有して燃やし上げたあの日をご記憶かもしれない。大丸ラーメン、僕の人生に一番影響を与えたラーメン屋である。
閉店してからもう7年もの月日が流れた。
そうか、もうそんなに時間が経ったのか。未だにあれ以上に食らったラーメンは存在しない。多分、冗談抜きでカップ○ードルより食べたもの。
舌にこびりついたあの味の残滓は失われつつあるが、記憶にこびりついたあの多くの夜の瞬間瞬間がまだなかなか抜け落ちてくれない。友人と夜更かしをして遊び呆けてふと一息ついた瞬間、または夜更けに小腹の飢えを感じた瞬間。そういう時にふと記憶のひだの中から立ち上がってくるのが大丸ラーメンでの記憶であり、その味の印象なのである。
そんな大丸ラーメンが、どうやらどこぞの飲食店で復刻された、だと!?
これは食べたい、食べなければならない。
どうやら今池のやぶやで提供されているようだ。
近い!行きたい!食いたい!
タイミング良く大丸狂いの友人 大内君(太平洋不知火楽団)が東京から名古屋へやって来る、との事で予定を調節して彼と演奏でぶつかり合った翌日、雨が降りしきる夜の今池で再会した。夜中の2時ではなかったけれど。
正直、若干どころか結構緊張していた。何故緊張していたのか自分でもわからない。ひょっとしたら、という一縷の望みがあったのだろうか?否、あの味に再会なんて出来るわけがない。どれだけ焦がれたって完全に同じ味なんてこの口にする事が出来るわけはないのだから。大橋隆雄さんがあの場所であの時間に提供して初めてあの丼の中身は『大丸ラーメン』足り得るのだから。だけど、ひょっとしたら。
期待しちゃ駄目だ、どうせ駄目でもともとなんだからという理性の声に耳を傾けながら店に入り注文をする。
大内君が注文を取りに来た店員さんに声をかけた。「どうしてこのラーメンを提供する事になったのか?」という10人中10人が気にする問いを彼は口にした。
店員氏曰く、どうやらお店の経営に関わる人間の中で大丸ラーメンのファンがいるとの事。その人発信で「折角なら俺達でやろう」と提供するに至ったとの事。
居酒屋に入店しておいて申し訳なかったが、それぞれドリンク一杯とこの『大丸ラーメン』しか僕達は注文しなかった。いつもだったら手が伸びそうなメニューが沢山あったけれどこの日は他のものを注文しなかった。
提供された一杯は一見して雰囲気が良く出ている。ちょっと練り物の切り方が大きいかな、とか量が多いかな、とは思ったものの、やっぱりこういう一杯を目の前にした時はテンションが上がる。いざ、実食。
...オリジナルを連想させるのはビジュアルと練り物の味くらいだったけれども、一杯のラーメンとしては美味しかった。居酒屋だもの、オリジナルを求める人以外にもちゃんと番人受けするものを作らないといけないのだろうし、そもそもオリジナルに近付くがために開発されたものでもないのだろう。スープはちゃんと中華そばのスープだったし麺も業務用の普遍的なものを適度な茹で加減で、肉は塩ダレで痛めてあった。キャベツもモヤシもシャキシャキ感がある。
旨いけど、大丸ラーメンの完全再現を求めるものではない。だけれども今池という地でこういう一杯を出してくれる心意気に
感謝。
何より、記憶を手繰り寄せながら友人と『あの夜』に思いを馳せつつラーメンを啜る経験をさせてくれた事に感謝したい。よもや、また大丸の名の下に待ち合わせる事があるだなんて思いもしなかった。
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