「弾けたら弾いて下さい」がそのまま売り言葉になった日。

「30歳くらいになって人生設計とか考えだした頃にはライブの本数も数ヶ月に一度とかになったりするのかな」
その昔漠然とこう思っていたけれども31歳になり人生設計を強く意識している今でも数ヶ月に一度どころか月に一度、多いと月に何本もライブハウスで演奏している。勿論頻度の問題でもなければ本数が大事なのでもない、だけれども演奏活動との距離感、自分の日常に於ける演奏活動の位置づけというか意味合いみたいなものが冒頭の漠然とした予感に内包される不安通りのものになる気配もなく、正直ホッとすると同時に物凄く有難い。いくら自分の意思次第とはいえども必要最低限の環境がそれを受け入れられるものでないとこうい活動と距離が開くのなんて恐らく、思っていたよりもあっという間なんだろなと思うから。
自己表現、演奏活動は平たく言ってしまえば趣味の範疇ではあるのだけれども、自己表現やコミュニケーションツールとしてのそれの他に、今や自己啓発(こう書くと恐ろしく胡散臭くなるのだけれども)の一つの手段になっているだけに欠かしたくはないなあと考えるのである。

話がとても抽象的になった。
要するに「ライブは楽しい、定期的にやりたい」という話である。今月は幸いにも結構、多いんだぜ演奏が。
毎週のように続く演奏活動に確かに自分自身、演奏に向き合う姿勢が研磨されていくのを感じる。こういう時は大いに挑戦するに限る。普段しないような演奏、普段よりも踏み込んだ演奏が出来るチャンスであるからして。

というわけで8月8日、吹上鑪ら場でのMoNoSiRoの演奏は大いに挑戦する事にした。
平時は守備範囲を強く意識しながら隙あれば攻めに転じるような演奏を心掛けているのだけれども(毎度の事ながらこういう精神論でスイマセンネ)、この日はいつもより守備を意識した。このバンドに於ける守備=楽曲を緻密なレベルで構築する。
変拍子まみれの複雑な曲を可能な限りポップにアウトプットするにはどうすれば良いのか、その答えの一つが「難解であると意識せずに演奏する事、少なくとも難解である事を聴いている人間に意識させないようにする事」である。
同時にもっと踏み込んでバンドのウェットな部分に貢献したい、と試してみたのが諸々のエフェクターの使用、今回は特にディレイの使用だった。
いやあ、付点8分ディレイ、気ン持ち良いねええええええええ!!!
BOSS DD-7にフットスイッチ外付けしてタップテンポしてここぞというタイミングでオン、立体感のある残響の中、原音とディレイ音で一つのベースラインだぜ、くらいの気持ち(気持ちね、ここはね。ディレイ後付だからね今回はね)で弾く。
バンドにあってるんだろうなっていうのもあるのだけれど、いやあ、自分の中でまたお気に入りの音色が増えたなという感覚である。

またこの日はMoNoSiRoとしても挑戦していた。
共演の伊藤誠人(色々やっている人だけれどもこの日はソロでの出演)に当日ぶっつけで演奏に参加して貰ったのである。しかも全曲。彼はリハーサルから参加したのだけれども、ついぞ一曲通して演奏する事は本番までなかったばかりか、全く見知らぬ曲ばかりを演奏する事になった。
セットリストだけ与えられ、でも一曲も知らないわけだからこれはもうセットリストさえ意味がない。
「曲名から想像して演奏する」と豪語したもののそれが大ぼらで終わらないのが伊藤誠人である。ブラヴォー。

金森君はファッキン天然野郎だ。生粋の感覚派である彼はライブ中だろうが何だろうがブレない。
今までは格好つけようとしていた部分もあったのだろうけれども、もうこれでいいじゃあないか、素直で在るのが一番誠実だし結果的に音楽が音楽であると皆が同じタイミングで感じたのかどうか定かではないのであるけれども、この日のMoNoSiRoはMC(そしてそこからの勇猛果敢な脱線さえも)も良いチーム感を出していたと思う。
PAブースの中から観た鈴木実貴子ズ、またまたブラヴォー!

2015_08_08
金森君と、白いシャツが被った。

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