ご無沙汰しています。

ここ数日間、一切ブログを更新しなかったのは慌しさにかまけていたからだ。

単純に書く時間がなかった、と言ってしまえばそれまでなのだが、そんなのただの言い訳だ。自分のブログを読み返して目を細める未来の自分、そして自分の全てを焼き付けんと日々更新しているこのブログに対して不誠実であった。

鮮度、生々しさは失われてしまったけれども何も書かずにおくにはこの数日間というのは密度が高過ぎた。

10月28日(木)

若干風邪気味だったのだが、前夜眠る前に服用した葛根湯が効いたのか目覚めると体調は良くなっていた。葛根湯凄え。この日はJONNYで新宿motionにて行われたキングヌラリヒョン 企画『さわやか三組』に出演。演者はJONNY、SUNSET DRIVE 、そして主催のキングヌラリヒョン。出演は実に久しぶりの新宿motion。僕の記憶が確かならばJONNYでの初の東京遠征はここ新宿motionだったと記憶している。

この日のスリーマン、出演順が決まっておらず、開場後にフロアで行われるおでんの早食い競争にて出演順を決める。いやはや、この連絡が来た際には笑った。曰く「あみだくじやじゃんけんで出演順を決めようと思っていましたが、それでは面白くないので『おでんの早食い』にて出演順を決めようと思います」。もうこの発想が凄い。

で、開場前から楽屋で煮込まれるおでん。motionスタッフ様のご好意で持ち込んだものより大きな鍋が用意され、グツグツグツグツ煮込まれる。

続・我が逃走
一応、落し蓋のつもりである。

各バンドから代表一名が選ばれ、おでんの早食いに興じる。JONNYからは僕が出場する事になった。おでんの早食いに対する適性がどの程度かは定かではないけれども、ガチの一本勝負、全力を尽くす。

司会はキングヌラリヒョン安宅君、JONNYサポートギターリスト各務君。さり気なくこの二人、仕切りが上手い。

競争の結果、僕は二位。キングヌラリヒョン代表児島君を下す結果となった。SUNSET DRIVE代表ドラマー氏は一位、選んだ出演順は二番目。正直、自分も狙っていた出順だけに焦る。僕らがどの出順を選ぶかで自動的に主催・キングヌラリヒョンの出順も決定するというプレッシャーの中、一番目を選択。最後にリハーサルをやったので、アンプのツマミや機材配置がそのままで演奏出来るので楽だったのだよ。

キングヌラリヒョンとは彼らがThe FITSという名前を名乗っている頃からの付き合いである。あの日池袋手刀で共演した僕達(ちなみに僕は不完全密室殺人で出演していた。まだJONNYのサポートさえしていない頃である)は比較的短時間で意気投合し、それ以来の付き合いだ。何なら同期、という表現さえ出来る彼らとは、友人としても思い入れがあるわけでそんな彼らが気概を持って臨んだ企画で下手な演奏は出来ない。精一杯演奏した。

個人的には最近で一番腑に落ちる演奏が出来た。

どの出演者も求心力のあるライブをし、このままこの3バンドで名古屋で企画をうっても面白いんじゃないかと思える程の高密度なイベント。

打ち上げは中途で退席してしまったけれども、思い出話に華を咲かせる事が出来た。この恩はいつか必ず返させて頂きます。

車中にて、爆睡。記憶がない。

10月29日(金)

朝方名古屋に到着。

そのまま竜泉寺の湯にて入浴、仮眠をとるというサポートメンバー+敏腕スタッフ シン君を見送り帰宅。入浴し、食事をし、一息つく。この日は愛知学院大学のウィステリアという軽音サークルのライブにJONNYでゲスト出演。

ウィステリアのライブ出演は、実は今年で3回目となる。過去2回は不完全密室殺人での出演で、いずれも大変面白く愉快なライブをさせて頂いた。学生さんの熱量、情熱が凄いサークルなので今年も楽しみだったのだけれども、やっぱり凄かったよウィステリア。熱気むせ返る教室で、一歩も引く事なくステージ上の演奏にぶつかってくる姿勢に興奮した。最早毎年恒例、ベースリレーも敢行、僕よりよっぽど演奏技術のある学生さん方、16分でのピッキングでガツガツベースを弾き倒していて快感だった。

演奏終了後に汗だくの学生さんに「有難うございました!」と言われ、もうこの笑顔だけで全てが報われたな、と思う。会場入りの際から気を使って頂き、転換も手伝って下さるこの学生さん達は、毎年毎年僕を感動させてくれるのだ。「機材がアレなんで、演奏しづらいかもしれませんよ」と仰っていたけれども、なんのその。

情熱と求心力さえあればどんな環境だって演奏してみせる。良い機材より貴方方のその情熱の方がよっぽど演奏の助けになりますよ、と思った。

森君、僕達を招待してくれて有難う。毎年毎年僕は渉外担当というのかな、ゲストバンド担当の学生さんとは仲良くさせて頂いているのだけれどももし良かったらいつか遊びましょう!

続・我が逃走
大学内を彷徨っていた「はちまるくん」と、先々代の渉外担当 久保田君と。

帰宅後、溜まっていた作業を処理しつつ過ごす。その後、テレパシーズのライブ前最終練習へ出掛ける。

テレパシーズは菊池紗矢 さん、そしてたかにゃん、僕による3ピースバンド。作詞作曲を映像作家であるたかにゃんが行い、編曲を菊ちゃんが担当する。菊ちゃんがtwitterにてベーシスト募集をしていたので、あっという間に釣られにいった次第。菊ちゃんの演奏/音楽は彼女自身のライブ、そして紙コップス でも拝見していのだけども、大変そそられていた。僕みたいな小汚いバンドマンがあの娘と何か一緒にやれるっていうのはなかなかない事ですよ、あなた。

たかにゃんは映像作家として出会い、映像作家として力を貸して貰ってきただけにそんな彼が作る音楽がどんなものか未知数。しかし彼が鼻歌で作曲し、歌詞を書き、菊ちゃんがそれを編曲したというデモを聞き「なんて奴だ・・・」と思わず呟いた。滅茶苦茶良いんですよ。たかにゃん、あんた何で今まで音楽やらなかったんだ。

で、幸いにも一緒に演奏したら喜んで貰えたので(そういえば菊ちゃん、なかなかベーシストと演奏する機会ないものね)僕も大いに気を良くして参加した次第。それがライブまで一週間をきった状態で、そういう状況の突貫制作は嫌いではない。お互いの予定をやりくりしてのスケジュールとなったけれども、この日のスタジオも夜中の24時から4時間、楽しくやれた。

スタジオ後はたかにゃんちに移動、就寝。さながらバンド合宿のような一夜だった。

10月30日(土)

起床。シャワーを浴びてウィステリア森君に連絡。

前夜のスタジオで発覚したのだけれども、どうやら僕はACアダプターをウィステリアのライブ会場に忘れてしまったらしい。森君に電話したところ、発見、保管しておいて貰えるとの事でたかにゃんちから程近い愛知学院大学にブラブラ歩いていく。教室に近付いていくと学生さんが「お疲れ様です」。もう本当にこの人達どれだけ誠実なのさ。申し訳なくて頭が上がらんよ。無事にアダプターを回収し、たかにゃんちに戻り、たかにゃんちの真ン前の名古屋学芸大学に向かう。ここの野外ステージにてテレパシーズは演奏である。

たった2回のスタジオ、それも急遽集まったメンバーでの演奏は果たしてどうだったか。成程、確かに荒々しさは否めなかったけれども曲の素晴らしさを伝える事は出来たのではないかと思う。あのバンド、あの一回こっきりで終わらせるには勿体無い、と個人的には思っている。

演奏終了後は篠田Pがかつて部長を務め、去年は菊ちゃんが部長を務めた宅録サークルの部室にお邪魔する。何だか自分も昔は身をおいていた"学生生活”の静かなる悦び、芳しさに負けそうになりながらも堪能する。良いなあ、大学生活。勉強に大してはそこまで熱意はないけれども、もし今の僕に「あの生活をもう一度送りたいか」と問うたならば答えは迷うまでもなく「YES」である。人生に於いておよそ一番自由であり、同時に一番振れ幅が生まれ得る大学時代。瑞々しいなあ。

時間が来たので淑徳大学に移動。

機材を控え室に置き、植田サポートメンバー、そして来てくれたフッキー君(iGO )と大学祭をうろつく。これでも大学教育を受けた経歴を有しているのだけども、他大学ってのは幾つになってもワクワクするものだ。構内をブラブラするだけで静かに興奮する。歴史に「もしも」はないけれども、もしも自分がこの大学に通っていたら、と創造するだけで楽しい。

名古屋大学 大学祭での一件をご存知だからか、我々の演奏前に実行委員の方々が注意事項について念押しに来られた。当然だ、と思う。彼ら彼女達はこの大学祭に想像もつかないような時間と情熱、そして労力を注ぎ込んできただろうし、来年の大学祭の事も鑑みる必要がある。来年以降について責任を負わない、負えないゲストバンドの演奏一つで彼女達の情熱が無に帰し得るならば、それを避けたいと思うのは当然の事。しかしそれでも出演オファーを下さった淑徳大学 大学祭実行委員の皆様には本当に感謝しているし、注意事項の確認は我々の事を思いやっての行為であったと認識している。気を遣わせてしまって却って申し訳ない。我々は自分達の表現欲求と、そして実行委員の皆さんの期待、どちらも背負って演奏していた。

果たして結果がどうであったかはステージ上で楽器を弾いていたので定かではないけれども、演奏後の実行委員の皆様の言葉、あれが最大限の労いだ。ここでもまた、僕達は報われた。

学生の皆さんに手を振って帰宅、この3日間の労を打ち上げで労いたい佐藤さんと、演奏メンバーの誰もがそれに応えなかったために出陣する事と相成った茜谷さん(iGO)と3人で居酒屋へ。ウイスキー角のソーダ割をガブガブ呑んでたらあっという間に酔っ払ってしまった。

伊藤誠人君と待ち合わせをしていたので、待ち合わせ場所で一度やってみたかった「酔っ払って路上で寝てみる」を敢行、何と寝そべって1分程度で見知らぬ人に「大丈夫?」と声をかけられ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと再認識。皆優しいよ。

伊藤誠人君とパイプカットマミヰズ会議へ赴く。サポートメンバー含め5人でここ最近のライブ映像を観、意見をたたかわせ、意識の統一を図る。結局帰宅したのは明け方6時頃。もう体内時計はぐっちゃぐちゃだ。

「あまり長時間眠れんなあ」と思いながら就寝。

10月31日(日)

9時半に起床。祖父の7回忌の法事に兄一家と両親と出掛ける。

お坊さんの打ち鳴らす木魚、その裏拍でクリックのような音がピッピッと聴こえていたのはあれは部屋の残響の具合なのかしら。成長してきた甥っ子達の可愛さに子供が欲しくなる。

昼食に回転寿司を食べた後、平井さん(いとまとあやこ )とこの日で26歳になった山田君(不完全密室殺人)とライブシアター銀映に行く。銀映は今や名古屋で最後のストリップ小屋であり、この10月31日をもって閉館となってしまった。いずれは行こう行こうと思っていたのだけれども、最終日という事で重たい腰を持ち上げて出掛けていったわけだ。

正直に申し上げると、ストリップ小屋に下世話な偏見を抱いていた。しかし最終日の銀映で見た光景というのは全く想像しなかったもので、今まで銀映を愛してきたお客さん達、そして踊り子の皆さんの情熱、肉体美が披露され芸術と言ってもいいエンターテインメントが繰り広げられていた。

人間の筋肉の美しさ、女性の肉体の崇高さを痛感しつつ、熱気に負けまいとステージに見入った。

1セット分ステージが終わったので、平井さん山田君と一時別れ、新栄CLUB ROCK’N’ROLLへ24-two four- ワンマンを観に行く。この日でギターのしゅんさんが24から脱退という事で多くのお客さん、バンドマンが集まったCLUB R&R、大雨が降りしきる中あれだけの人が集まったというのは24ならでは、なのだろう。多くの人に愛されている24らしい、とても脱退するメンバーがいるとは思えない実に和やかなムードの中ワンマンは終了した。

楽しそうに、本当に楽しそうに演奏されるメンバー様方を観ていると「今日で脱退なのか」と脱退の事実を忘れがちだったけれども、アンコールの頃にはグッと胸に迫るものがあり、何だか胸が熱くなった。

そしてあれだけ多くのバンドマンが24の節目を見に集まったわけで、そんな情熱的な名古屋インディーズシーンを誇らしく思ったし、そんな名古屋インディーズシーンの末端にでも名を連ねられる事を嬉しく思った。名古屋のバンドマンは情熱的な先人達、同期を誇っていいはずだ。

恐らくは大盛り上がりするであろう打ち上げに後ろ髪引かれる思いだったが、平井家にて行われている山田君の誕生日パーティーに参加するため、雨の中自転車をひたすらに漕いだ。到着すると各務君も来ており、この後も続々と人が集まる様子。やはり親友の誕生日くらい直接祝いたいものだ。

最近あのバンドに関してはほぼ毎日のように会っていた以前と比べると、ともにする時間が減ったが故にこういう機会は大事にしようと思うようになった。多くの人が集まり、山田君の誕生日、っそいて日付が変わると同時に迎えた小森君(ザ・フロイト )の誕生日を祝ったのだった。

明け方、DICE PROJECT のKAZUOさんが大丸にいらっしゃってるという事で自転車を漕いで大丸前に向かう。

相当ダメージを負われた様子だったけれども、数日後に来るであろう禁断症状を楽しみにKAZUOさんを見送り、帰宅。

作業に従事して、就寝。この数日間の連休を振り返る余裕もなく。

こんな毎日を送っていたよ。

この4日間で色々なものを観、感じ、色々な人に会った。

実に刺激的で、こんな時間の事こそブログに記録したいと思えるような数日間だった。

やっぱりベース一本(二本の日もあったけど)と少しばかりの機材を持って色々な場所で行って様々な環境でフレキシブルに演奏するのは好きだ。出来れば現場に着いてから一息つく暇さえなければ良い。あーだこーだ考えなくて済むものね。

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