『アマデウス』

続・我が逃走

高校一年生の頃、選択音楽の授業で『アマデウス』を視聴した。

時間の関係で最後まで視聴する事は出来なかったと記憶しているが、その後レンタルビデオ店でこの映画のビデオをレンタルし、結局最後まで鑑賞する事が出来た。

先日、久しぶりにこの映画を鑑賞したくなったのでDVDを入手、何度目かの鑑賞をした。

1984年製作の本作だが、全然古くない。思うに、人間が文化的な生活を続けていく上で誰しも感じ得る題材を扱っているからだろう。アカデミー賞を8部門で受賞したのも納得出来る作品。

凍てつくウィーンの街で自殺を図り精神病院に運ばれた老人。彼は自らをアントニオ・サリエリと呼び、皇帝ヨゼフ二世に仕えた宮廷音楽家であると語る。やがて彼の人生のすべてを変えてしまった一人の天才の生涯をとつとつと語り始める…。若くして世を去った天才音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの謎の生涯を、サリエリとの対決を通して描いた話題作。
1984年度アカデミー賞8部門(作品・監督・主演男優賞他)を獲得。

冒頭から「交響曲 第25番 ト短調 K.183」が実に印象的なタイミングで使われ、この映画は音と映像の使い方に気を遣われているのが理解出来る。偉大な作曲家の名を冠したタイトルに恥じぬ、ちゃんと音楽を音楽として捉えた映画である。何でもモーツァルト役のトム・ハルスは猛練習の末、ピアノを代役なしでちゃんと弾いているし、指揮も指導を受けた結果「音楽映画史上、一番ちゃんと指揮をしている」と現役指揮者に言わしめたそうな。撮影現場や劇中のオペラについても相当気が遣われているそうで、そういう逸話の一つ一つを聞くとこの映画のダイナミックな音楽、衣装、建築物やセット、そして壮大なオペラ全てのクオリティの高さに納得出来る。

「大作」とは陳腐な表現なれども、本作は間違いなく役者、スタッフ、監督、この映画に関わる人全てが本気で魅せた「大作」である。

物語は宮廷音楽家サリエリのモーツァルトに対する愛憎が主軸となって信仰する。幼い頃から自分より年下ながらも音楽の天才としてモーツァルトの風評を聞いてきたサリエリは、彼に対して憧れの感情を抱く。しかしいざ本人を目の前にし、モーツァルトが如何に下品で浅はかな青年であるかを知り、失望するのだ。

サリエリはモーツァルトの音楽を愛したけれども、モーツァルトその人を愛せなかった。

このモーツァルトの人物像、実際どの程度史実に則って描いているか定かではないけれども相当にエキセントリック。素っ頓狂な笑い声、下ネタ大好き、酒好き女好きパーティー好き、音楽の事となると礼節を忘れ熱中してしまう。けれども彼は自分の才能が如何に多くの人の心を動かすか理解している。「僕は確かに下品な男だ。けれども僕の音楽はそうじゃない」。

一方サリエリは幼い頃から神に祈り続けてきた。「神よ、私に音楽の才能を。私の名が後世に語り継がれ、私の音楽がこの先ずっと愛されますように。もし願いを聞き入れて下さるならば昼も夜も貴方を敬い、貴方を称える音楽を書きます」。しかし神はモーツァルトを選んだ。モーツァルトは人の心を動かす音楽を書き、その音楽はサリエリからすれば「神がモーツァルトを通じて語っているよう」でさえあった。そして神はサリエリには「才能を理解する才能」しか与えなかった。なまじ才能を見抜く才能を有するだけに、サリエリにはモーツァルトが如何に素晴らしい音楽家か、そして自分が如何にモーツァルトに敵わないかが理解出来てしまう。

自分ではなくあの下品で生意気、分別のない若造を!

「貴方を滅ぼしてやる。貴方の愛するあの若者を傷つけ、打ちのめしてやる」

それはモーツァルトという存在を通じての、神への挑戦に他ならない。

結局サリエリは自らが「凡庸なる人間」である事を痛い程痛感し、音楽的な観点ではモーツァルトには勝てないままだ。モーツァルトの死後30数年、サリエリの音楽は忘れ去られてもモーツァルトの音楽は皆に愛されている。

存在そのものを滅ぼす引き金を引いた事で一つの「個」としてはモーツァルトに“打ち勝った”サリエリであるが、映画冒頭で自責の念から自傷にはしってしまう。結局、凡庸なるサリエリはモーツァルトの非凡さを共同作業を通じて間近で見、音楽家として感動する事でモーツァルトに対する人間的な感想さえも多少なりとも改めざるを得なくなってしまったのではないだろうか。モーツァルトの死後のシーン、サリエリの表情は読み難いけれども僕はそう解釈した。

しかし何度観てもサリエリに感情移入してしまう。僕の信念ともいっていい「天才VS凡庸」を主題に描いたこの映画、しかも題材は音楽!感情移入しないはずがない。凡庸さを自覚しながらにして天賦の才能に立ち向かっていくサリエリは、腹の中こそ違えども僕そのものだ、とさえ思った。

今なお僕は闘争を、周りの才人との戦いを続けている。しかし、僕が年老いて楽器演奏もままならなくなった時、或いは日常生活の多忙さに埋もれて人前での演奏に支障をきたした際、もし僕の同期の人間や後輩が多くの人の拍手を浴び、スポットライトを浴びていたらどうだろう。今現在は真ッ際中の闘争が、完全に終わり、しかも僕の完全なる敗北が理解できたら僕はその時どうするだろう。

イエス・キリストの像を暖炉にくべるサリエリの顔を見ながら、そんな風に思った。

コメント

  1. あきやま より:

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    これは、みてみたいですね…!

    にしてもポスター?かっこいいなぁ。

  2. 舟橋孝裕 より:

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    >あきやまさん
    物凄く名作なので是非とも!
    美しい音楽に最高の舞台装置、そして音楽家二人の精神戦がたまらないですよ!