『国が、この国が歪むのを待っている』

非常勤ベーシストとしてJONNYのライブ現場へ出勤。格好つけずに言うとJONNYサポートでライブしてきましたー、となる。

共演は竹内電気、レジオキング。竹内電気 斉藤伸也氏に言い知れぬ魅力を感じた。やはり最近、男色の気が・・・いやいや待て、落ち着け。毒されている、毒されているぞ俺。

レジオキング、不完全密室殺人でも共演していて、お互いバッチリ認識していた事が今日の共演で明らかに。だったらもっと早く話しかければ良かったなあ。

風邪により発生した熱を、そのまま演奏のエネルギーに転化するよう心がけてのライブ。個人的にはここ最近で一番体が動いた。気がつけばありえない姿勢になっていたりして慌てる事もあるけれど、自分自身が興奮して音楽を演奏したいと思っているので興奮のるつぼに突っ込んでいく姿勢は今後も正さない。

ディストーション、そしてそれに代表される歪んだ音色(ねいろ)というのは、たかだか半世紀ばかりの電気仕掛けの音楽史において重要な位置づけにあったと感じている。楽器演奏者は電気を運用する事によって音量を手にし、音量を行使する過程で歪みを得たのである。

純粋なオーディオ機器、そして回路ではそれは弊害であり淘汰すべき弊害である。しかして電気楽器が発する信号を増幅、加工してアウトプットするための所謂アンプリファイアでは『歪ませるための』回路が仕込まれていたりする事からもわかるようにそれら歪みは、そうではない。むしろ人によっては歓迎される節すら見受けられる。

数々の先人が、彼らのディストーションゴッドに彼らのディストーションサウンドを捧げてきた。中には彼ら自身が彼らが敬い、愛したディストーションゴッドと同列に崇められる実例もあった。

崇拝され、研究され、愛されてきた歪み。

歪みという音色(ねいろ)にはまだまだ研究の価値がある、と確信する次第である。

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