ステーキとフレンチトースト。

連休最終日。
起床して台所の小窓から外の様子を見ると、外は雨。
我が社宅の駐車場には水溜まりまで出来ているのであった。慌てて干しっぱなしの洗濯物を取り込みつつ、残りの洗濯物は全部コインランドリーの乾燥機行きだな、と腹を括った。
何だか最近、週末は雨ばかりな気がする。

夕方、実家の父に会いに行く。
特に用事もないのだけれども、一週間に一度は顔を合わせないと落ち着かない気持ちになる。父も「何の用だ」とは言わないので僕のそういう感情を受け入れてくれているのだろう。
いざ実家に立ち寄ると、軽く顔を出すだけにしようと最初こそ思っていてもどうしても長尻になる。今日はそろそろ帰宅しようかと思っているタイミングで2階で生活している兄夫婦が顔を出してくれ、そこから盛り上がり「じゃあ皆で食事でも行こうか」となった。母が亡くなってから父、そして兄一家と距離感がますます近くなったように思う。今は母が不在の寂しさを、お互い一歩ずつでも意識的に近寄る事で紛らわせるしかない。元々仲の良い一家ではあったが、母の不在をお互いへの思いやりで乗り越えようとしているのだった。

何を食べに出るか迷ったのだが、結局ステーキのあさくまに行く事になった。ステーキのあさくまは去年の秋頃、父と妻と娘と僕の4人で行って以来である。偶然にもその時と座った席が同じになった。前回は母が入院している最中だった。食事しながら「母さん、退院してからが大変だよね」だなんて呑気な話をしていたものだ。状況が大きく変わってしまったな、と思う。
『親の死』は時間こそかかれど、何だかんだ環境の変化を受け入れて対応して乗り越えていくものだと何となく思っていた。母の命が尽きるかもしれないと考えた時も、きっと母がいなくなってしまった当初こそその不在の大きさに愕然とするものの、きっと徐々に母のいない日々が当たり前になっていくのだと、そういう日々が構築されていくのだと思っていた。
しかし母のいない日々を構築する段階に僕はまだいないではないか。母の死に対してまだ何となく現実味がない。「いないなあ、寂しいなあ」と気持ちがフワフワしたままである。このままヌルッと時間が過ぎていくのは母親に対して申し訳ない気持ちになる。かといってそう簡単に母の不在を受け入れられるはずもない。妻はきっと僕が母の死に対してまだ感情的になっていない事(一瞬なったけれども、それ以外は冷静なまま今日まで来てしまった)を気にしているのかな、と思う。
こればかリはしょうがない事なのだけれども。流石に毎日メソメソしたりはしていないけれど、何だか感情が消化しきれていないのかもしれないなあと思う。どうかなあ。


妻と娘が寝静まってからはオクターブファズを嗜む時間。
Danelectro DJ-13 FRENCH TOASTである。これは確かstudio penneこと鈴木君から何かと引き換えに譲って貰ったブツだったと思う。
FOXX Tone Machineの開発者が今Danelectroの人らしく、その方がTone Machineを再構築した一品との事。FRENCH TOASTとFOXX Tone Machineと頭文字が同じだからそれがさりげなくヒントになっているとかいないとか。巷ではオクターブがオフの時の音がBIG MUFFのラムズヘッドと似てる!と評判らしい。
コントロールはLEVEL(音量)、DIST(歪み具合)、EQ(トーン)にオクターブのオン/オフスイッチ。LEDはついていない。尤も音でオンかオフか一目瞭然(一耳瞭然、か)だから、必要はない。
オクターブをオフにした音は確かに評判通りのビッグマフに似た粒子の細かいビッギビギの歪み方であり、音作りも割としやすい。
ベースギターで使う場合、オクターブをオフ、DISTを12時、EQを11時くらいにするとベースらしい低域の分厚さもありつつファズ感も楽しめる、アンサンブルの中でも役割を放棄しない人に優しいベースファズとなる。これは擦り込まれちゃってるかもしれないけれども、確かに操作感はBIG MUFFのラムズヘッドコピーを弾いている時と似ているように感じた。
オクターブをオンにすると一気に高域がジューシー(!)かつ危険に歪むもんだから、こうなるとベースギターで運用するには割とピーキー過ぎて簡単にはいかなくなってくる。『そういう音』として低域なんか知ったこっちゃねえぜ的な音を出すなら兎も角、売って良し走って良しの汎用性を持たせようとするならばブレンダー類を通して使うとオクターブを使う/使わないどちらでも使いやすいファズになるのではと思った。
でもなあ、正直ファズを使う際にブレンダーを通すのは堅実な方法ではあるけれども『負け』みたいな気持ちにもなるんだよなあ。