ステージ上で「ライ麦畑でつかまえて」を音読したライブ

土曜日。
前夜のランニングで痛めた膝を引きずって養老天命反転地へ行く。養老天命反転地をご存知ない方は是非インターネットで検索するなりして調べてみて下さい。奇妙だし、綺麗だから。
養老天命反転地→養老の滝→養老温泉というのは養老での鉄板のデートコースなんだろうけれども、少なくとも膝を引きずりながら行くべき場所でないと今回学んだ。痛む右膝をかばって歩いた結果、養老の滝からの下山コースに差し掛かる頃には左膝も右膝と同じくらい、否、右膝以上に痛み始めたからだ。養老を舐めていた僕が悪い。
養老で購入したとうもろこしと売店のキュートなおばあちゃんに薦められて購入した養老サイダーを手土産に樫山君ち詣で。皆で素麺を啜りながら一足早い夏到来、って感じ。

日曜。
犬栓耳畜生で新栄DAYTRIVEに出演。
この日は大島優子似のコンダクトにて演奏。大島優子似が作曲した曲を皆でストップウォッチ片手に演奏した。リハーサル後に「納得いくブースト量が得られなかった」と自分のファズについて半信半疑になる大島優子似は、何だかかつての自分のような気がした。あの生々しい葛藤、僕は凄く思い当る節がある。勝手に共感しつつ、痛む両膝に対してパブロンゴールドを鎮痛剤代わりに流し込む。
大人のする事ではないな、と思いながらパブロンを服用して少し経った頃に緑茶ハイを飲む。アルコールと薬の併用は危険なのでやってはいけない、と知識では知っていたのだけれども痛みに耐えかねてやってしまった。反省。
緑茶ハイ、楽しくなって4缶も飲んでしまった。それでも演奏する頃にはアルコールのほとんどが緊張で抜けてしまった。皆もびっくりするくらい顔色も戻っていたし呂律も回った。緊張は弛緩せず、アルコールの抜け殻だけが残った。酒は強くなったけれども未だに緊張には弱い。
この日の演奏は決して悪いものではなかったと思う。ただコンダクトを担当した大島優子似は大いに反省していた。彼女は毎回演奏後に己を省みて自戒しているのでこの日もそのストイックさのあらわれか、とも思ったけれども、話を聞くとそうでもなかったそうだ。楽譜以上のサムシングは、確かになかったのかもしれない。ただそれでも全然悪かったとは思わないけれども。
肉体と音の共存と乖離、について興味がある。

これは前から思っている事であるしこの日その思いを強くした事でもあるけれども「こうした方が良い」と軽々しく言えてしまう人間はきちんと自分が格好良く在って欲しい。人のふりみて我がふり直せ、ではないけれどもさ。

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