マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』

続・我が逃走

BOOK OFFの100円コーナーは宝の宝庫である旨は以前からこのブログを閲覧して下さっており、かつ丹念に読んで下さり、更には記憶力の良い諸兄ならばひょっとするとご記憶の事かもしれない。

新潮文庫『トム・ソーヤーの冒険』もそんなBOOK OFFの100円コーナーで見つけたもの。懐かしさに手に取った。

茶目っ気たっぷりの腕白少年トムは、町の浮浪児宿なしハックを相棒に、いたずらの数々……家を脱け出し海賊気どりの冒険旅行、真夜中の墓地での殺人の目撃、迷路のような洞窟での宝探し、そして稚い恋。ミシシッピ河沿いの小さな田舎町を舞台に子供の夢と冒険を爽快なユーモアとスリルいっぱいに描く、おおらかな自然と自由への讃歌。世界中に読みつがれている少年文学の傑作。


結果的には児童向けと断ずるにはあまりにも興味深く、そして感慨深い作品であった。

幼い頃に『世界名作文学全集』で既読ではあったのだけれど(それも繰り返し読んでいた)、少年期を終えた成人後に読むとまた違った趣がある。

トム・ソーヤは悪戯好きの悪童というイメージが強かったのだけれど、今読み返すと彼の誠実で心優しい部分を忘れてしまっていた事に気がつく。彼は恋心を抱いた女の子や友達、そして伯母さんにはどこまでも優しく、恐らく僕が少年時代に若干の気恥ずかしさを伴って胸の内に秘めていたそういった敬愛すべき対象に対して、どこまでも真っ直ぐで誠実な感情を何の臆面もなく向けれる、そういった少年なのである。

それと同時にトム・ソーヤの活躍を通して感じるのは「かつては自分もそうであった」幼さ故の愚かさやナルシズムへの恥ずかしさなのである。

トム少年はある夜、誤解からいわれの無い非難を受ける事になる。それというのも日頃の自分の行いが背景にはあるのだけれども彼はそこまで考えず「自分は誰からも愛されていないのだ」と甘美なる孤独に浸り、村を見下ろす人気のない丘で涙に暮れるのだ。このナルシスティックな感情というのは言ってしまえば思春期にはありがちな感情で、「自分は(逆に)特別なのだ」という感情の屈折した発露ではあるのだろうけれども、分別のある大人ならば『黒歴史』と表現したくなるこういったナルシズムを臆面もなくトム少年が体現しているのを読むと「ああ、こりゃあたまらんなあ」と胸の奥がむず痒くなるのだ。

女の子の気を惹くためにその子の視界に入るところではしゃぎ回るトム。

一旦気をひいたもののいさかいの後、あてつけのように他の女の子と仲良くするトム。

実態を知らないまま本で得た知識を鵜呑みにし、「山賊はこの国で一番えらいんだ」としたり顔で話すトム少年。

「結団式をやろう!」「ケツダンシキ?何だいそれ」「よく知らないけど、とにかく素晴らしいものさ!」と言い切ってしまうトム少年。

ああ、どの姿もが、気恥ずかしく愛らしい!

『トム・ソーヤーの冒険』は是非とも生涯に於いて、最低三回は読んでおきたい。

一度目は少年期に。トムやハックの冒険に心奪われながら。

二度目は青年気に。かつての自分を照らし合わせて、気恥ずかしさと愛おしさに包まれながら。

三度目は親になってから。どこまでも穏やかな視点で、そして自分の子供と一緒に。

コメント

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    ああ、同じように俺は「赤毛のアン」を 恥ずかしくも面白くて何回も読んでました。

    ああいう名作と呼ばれている話というのは、誰もがどこか共感する恋愛や孤独感が詰まってますね。

    生きることに対して疑問を持った時に、それは別にたいしたことではないのだと思えれば良いと思う。

  2. フナハシ より:

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    >ピコ・ピコリンさん
    「赤毛のアン」、そうか、それもありましたね!
    チェックしてみます!

    海外の古典にハマりそうですなあ。